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いのちが輝くということ(3)「ただひとつのつながり」

 どんな時代にも痛ましい事件が起きる。新潟県で起きた小2の女児を殺害して線路に置き去りにした事件や、その後、千葉県では自殺しようと思ったができなかったので他人を刺したという事件もあった。

 どうしてそんなに簡単に人を殺すことができるのだろう。そういえば、かつて何故人を殺してはいけないのかというテーマが社会を賑わしたことを思い出す。

 人間は生まれたからには、必ず死を迎える時が来る。その時にはこの世のすべてのことから決別しなければならい。これは誰にとっても不気味でおそろしい。もし、生きながらにすべてのことから決別したらどんな心境になるのであろう。自分とは全く関係のない世界がそこに広がっているとしたら。

 ひとりぼっち、孤独、無意味。そう思えたとき、人間社会では悪とされていることも、悪ではなくなってしまう。殺人さえもきっと何の感情もわき上がらないのかもしれない。

 人間は他者とのつながりの中で、やっと人間でいられる。普通ではそれを意識することはないが、誰かに頼らないと生きてはいけない。そのことに気づくならば、周りの人たちに思いを馳せることができて、その気持ちを推し量ることもできる。

 つながりは通常目には見えない。目には見えないことに支えられているわけである。目に見えることとはこの世のことで、富、名誉、権力とも言えよう。これらは生活を楽なものにさせてくれるかもしれない。だが、本当の支えと言えるのだろうか。これらを溢れるばかりに所有していても、孤独な人たちは沢山いる。詐欺にひっかかる老人も多い。

 ホスピスで多くの人たちの死に向かう姿を目にしていると、ものに溢れている中で生きてきた人たちはつらそうだ。死を前にして沢山のものと決別しなければならないのだから。

 「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(旧約聖書イザヤ書46:4b

この神とのつながり、それは死んでも決別することがないただひとつのつながりである。

 

細井 順