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いのちが輝くということ(7) 死は遺る人の生きていく力に

 三人兄妹の一番下の妹さんが患者さんだった。がんからの出血で窮地に追い込まれ、そのたびに輸血で回復してきた。ホスピスでは出血もなく平穏な日々が続いたが、一月ほどの入院で、次第に食欲も落ちてきた。眠ってすごす時間も増え、血圧も下がってきた。

 お兄さんたちに残された時間は数日であろうと伝えた。

兄さんたちは、「妹をみていると、生命が長くないことは分かる。頭では分かるが、なんとかしてやれないものかとも思う。今までは、悪くなったら輸血をして回復してきたので、もう一度輸血はできないのか」と切実な思いを口にした。

 私は「血が足らないのではなく、がんの力に対抗してきた妹さんの生命力が徐々に終わりに近づいてきたので、血圧が下がっている」と説明した。

 兄さんは諦めきれなかった。「輸血がだめなら、他に何かしてやれることはないのか。今までがんばってきてくれたので、今回もがんばって欲しい。私たちは素人で何も分からないが、やれることはやってほしい」と。

 お兄さんが言われることは、肉親の気持ちとして至極当然のことだ。私自身も愛する家族との別れのときがいずれくるだろう。他人事ではない。

 「今、妹さんをいちばん元気づけるのは、お兄さんから妹さんによくがんばったなと語りかけることでしょう。そして、これまでの人生の長いつきあいに、ありがとう、ごめんな、というような言葉をかけることです。妹さんからは返事を聞くことはなくても、その言葉で緊張がきっとほどけるでしょう。また、お兄さん自身にとっても、自分の気持ちを口にすることで、自分自身に対してけじめをつけることができて、これから先に向かって気持ちを切り替えていけると思います」と私は話した。

 それから1週間後に妹さんは旅立った。お兄さんたちは、ホスピスからの帰り際に、「いろいろとややこしいことを言いましたが、どうぞ許してください。妹はここにきてほんとによかったと思います」と安らいだ表情で挨拶してくれた。

 妹さんに先ほどの言葉を語りかけたかどうかは定かではないが、兄さんたちは、生きていく力を妹さんからもらったのではないだろうか。

 

 「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」(新約聖書 ペトロの手紙Ⅰ 5:7

細井 順

 

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