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説教要旨 20/3/29 「あなたを忘れない」

2020年3月29日説教要旨

「あなたを忘れない」

 

イザヤ書 63:7~14

ヨハネ福音書 12:27~36

 

新型コロナウィルスの感染防止のために、各地で外出自粛が行われており、教会も例外ではない。礼拝を休会する教会もあり、また礼拝は行うが讃美歌は歌わないという教会もある。礼拝を休会する教会では、ネット配信で牧師の説教を流すという。

 

私の友人牧師のツイッターでは、「ツイキャスで説教に相当するものは放送いたします。厳密には説教は目の前に会衆がいて、その人たちの顔を見ながら成り立つものなので、あくまで説教に相当するもの、ですが。」と述べている。

 

ツイキャスとは、TwitCasting(ツイットキャスティング)スマホやパソコンから手軽にライブ配信を行えるサービスだそうだ。

この教会もLINE電話による配信をするようになったが、「礼拝」そのものが変化する状況になった。またコロナウィルス災害が終息した後もこのサービスは残るのは間違いない。かつてカセットテープで説教を送り届けたように、同時刻に礼拝を共有する手段が手に入ったのだから。

ただし会衆のいない場所での説教の意味はと考えると、彼がつぶやくように、「説教に相当するもの」でしかありえないと考えるが、それでも彼がカメラの向こうにいる具体的な教会員を覚えて語る時には、その方々へのメッセージとして生きた言葉となるのだろう。

 

 「礼拝」は、共同の業であり、神を賛美し神の恵みを受ける時だと言える。さらに突き詰めれば、神が私たちを覚えてくださっていることを共同で確認し覚えあうこととなるのだろう。教団の信仰告白では「公の礼拝を守り」とあるが、それは個々人だけでの例えば説教を聞く、著名人の説教を読むことでは得られない共同の業が、神の業であることを示しているのである。

 

次週から受難週となるが、イェスの十字架を思う時に、すべての人々の罪を担う十字架と理解するときに、私はひとりではない、忘れられ捨て去られているのではないことを、共同の業である礼拝を通して覚えることができる。

 

そうであるなら、新しい方法ができた時に、共同体の業として、物理的に出席が難しい方々へのネット配信と言う新しいサービスも、共同体を支える大きな力となる。そして忘れられていないことを喜び、礼拝という恵みの時を共有する力となるのだろう。

森 哲

 

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