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説教要旨 2020/4/5「 救い主の姿」

2020年4月5日説教要旨

「救い主の姿」

 

ゼカリヤ書 9:9~10

ヨハネ福音書 18:28~40

 

 新型コロナ・ウィルス災害の始めに、トイレットペーパーが不足するということが起こった。トイレットペーパー自体は十分に在庫があったが、人々が買い占めて店頭から姿を消したのであった。在庫は十分あったが商品配送するトラック運転手がいない。通常配送以上の余裕がないので店頭に並べられないという状況だったと聞いている。

 

 今週が受難週なので救い主のイメージを変える聖書の読み方ができればよいのだが…。先に述べた、配送のトラック運転手など救い主とは程遠いように思うが、救い主を私たちの生活や命を支えてくれる方と考えると、生活必需品を届けてくれるトラック運転手は、誰からも感謝されないような働きでありながら、私たちの生活の根幹を支えてくれている。そう考えれば、そこには救い主の働きの一端を覗き見することができるのではないだろうか。旧約に記されているロバを見ると、馬はさしずめ権力者を乗せるリムジン、ロバが貨物トラックとなるのかもしれない。下から支える救い主と考えると今までのイメージが上から引っ張り上げる救い主に偏っていたことが分かる。

 

ピラトの前に引き出されたイェスの姿。天の力は味方するというが、ピラトの眼には見えないし、ピラトのみならず誰の目にも見えないのだ。上から見下ろす力と下から支える力が対峙している。この世の力はこの世において強く、イェスに死刑の判決が出される。

 

 弟子たちも教会も上からの救い主を求めている。そして救いの中身も、自分が上に高められることを願っているのように思える。実のところそれはこの世の競争を投影しているだけで、今よりさらに良くなることを願っているだけではないだろうか。競争の向こう側にある神の国は、イェスの伝えた福音とは異なるのではないかと考える。

 

 イェスの伝えたかったのは、支えること、仕えあうことではなかったか。競争の果てに命を与えることはできないが、支えること、仕える中では、命を捧げることも可能となる。今あるわたしたちは様々に支えられて生かされている。今回の災害で改めて思う。

 

本当の救いは、上からではなく下から支えられるときに与えられる。支える姿の救い主は、血を流して私たちの罪を贖ってくださるのである。

 

森 哲

 

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