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説教要旨21/1/1「神にこそ目を向ける」

2021年年間聖句

「その日の苦労は、その日だけで十分である。」 マタイ福音書6:34

 

 新年の聖句を自分自身にフィットさせるのに、ずいぶんと時間がかかった。なかなかに「アーメン、そうですね。」とは言えない内容だからだ。明日以降の悩みの種はいっぱいあって、そう簡単に「その日の苦労は、その日だけで十分である」と言われても困るのだ。

そこでこの聖句がフィットする、時代・場所を頭の中でグルグル探してみたところ、数百年前の江戸が浮かんだ。江戸っ子は「宵越しの銭は持たねぇ」と言ったそうな。この生き方なら、一見正反対のようなこの新年の聖句に「あったりめぇよ、べらぼうめぇ!」という返事が聞けたように思う。

 

その頃の江戸を思い描くと、世界トップクラスの巨大都市であり、貨幣経済が広がり、日銭の稼げる仕事があり、新参者でも受け入れる社会であったと言う事ができる。お天道さまが昇れば、金は稼げる社会であったのだろう。日当制で、夕方にお金をもらい、湯屋に行って汗を流し、帰りに一杯引っ掛けて、かあちゃんに手土産でも買って、夜泣き蕎麦で蕎麦を啜れば、ほとんど手元に残らなかったらしい。都都逸かなにかに、「土方殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればよい」というのがあるので、「宵越しの銭は持たねぇ」は、時として痩せ我慢の言葉でもあっただろう。しかし、お天道さまが昇れば大丈夫という信頼がある。

 

似たような言葉で、ケセラセラ、ケンチャナヨ、Let it be. 明日は明日の風が吹くというのも頭には浮かんだが、流れに身を任せるというか、前に進む力強さを感じなかった。大阪生まれなので江戸に対して歴史的な対抗意識があるが、この聖句の理解においては、江戸の“いなせ(粋)”に軍配をあげたい。

 

 そもそもこの聖句の前の25節からは、神は人に鳥や花以上の恵みを与えられるはっきり書かれてある。神に目を向け、今日生かされていることを感謝して、明日も神の恵みが与えられることを確信して眠りにつく。そんな1年にしよう。

森 哲

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