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説教要旨20/12/27「知らない人々」

イザヤ書 60:1~6

マタイ福音書 2:1~12

「知らない人々」

 

 先週の説教で、21日の夕方に木星と土星が超接近して見えるといった。400年、あるいは800年ぶりの現象だったそうだ。学者の中には、この現象が博士たちの見た星ではないかという人もいると述べた。そして翌21日の夕方の写真がこれである。写真は、Fさんが撮られたもので、レンズが良いのか木星と土星が接近している様子がはっきりと写っている。私も浜へ出てみたが、ロマン溢れる光景であった。「クリスマスの星」と思ってみると、ただの天体現象ではなく、ちょっとした歴史の証人になった気分が味わえた。

 

 翌22日の朝10時に、ある葬祭会館から電話があった。22日夕方に前夜式、23日に葬儀という忙しい要望だった。私も何とかできると言う事で、すぐに会館に向かった。家族と面談をして故人の歴史を手に入れるためである。細かいことは以前「こころの友伝道」誌に書いたので省略するが、故人と信仰の兄弟だくらいの思い入れが自分の中で出来上がらないと、家族・遺族が慰められる葬儀にはならない。

 

故人のためのお祈りと賛美をすませて、家族・遺族と面談をする。前夜式では、面談をもとに故人とイェス様との関係を語る。80才を越えていた故人は、教会生活も高校生くらいまでで、職に就かれてからはほとんど教会とは無縁であったようだ。それでもいくつかのエピソードを交えて話し、前夜式を終えた。その後、ふと祭壇を見ると、すでに召された家族の写真と共に不思議な絵が並べてあった。少女のようにも見えたが、雰囲気としては聖画であった。家族に聞くと、この絵を毎日見ていましたとのことであった。何かを感じ、タブレットで写真を撮って帰った。

 

前夜式の後で家族と話したことなどを思い返しながら、撮ってきた写真を画像検索したところ、驚く検索結果がでた。19世紀の絵で「神殿にいる12歳のイエス」(ルカ2:41~49)というイェス像のアップが故人が毎日見ていた絵だった。

 牧師として衝撃を受けた。洗礼を受けず、教会にも行かないで60余年。教会も牧師もそんな人のことは覚えていない。完全に忘れ去られている。しかし神は捨てておかれなかった。1枚の絵を通してイエス様との繋がりをずっと守り続けられたのである。アドベントの時に教会を批判的に扱ったが、やはり教会そして牧師も傲慢なのだと示された。

 葬儀での式辞は、この絵をお見せして神様は故人を愛されていたとお伝えするだけで充分であった。教会と縁の薄かった家族・遺族も安心して故人を神様に委ねることができた。ご家族から感謝されたが、感謝するのは私の方だった。私は大きなクリスマスプレゼントを神様からいただいた。

森 哲

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