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説教要旨21/1/17「聞けこの声を」

エゼキエル 2:1~3:4

マタイ福音書 4:18~25

「聞けこの声を」

 

 新型コロナウィルス禍により、今やほぼ全員がマスクを着ける日本であるが、欧米でもようやくマスク着用が定着してきたそうだ。調べるとスペイン風邪(1918-1919)と呼ばれた百年前のインフルエンザの時に、今の医療用マスクが日本人に使われるようになったとある。それ以前にも日本の文化では、口元を隠す文化があったようで、笑う時も口元を隠すのは年配の女性なら今でも見られる上品な仕草であろう。

一方欧米では、口元ではなく目元を隠すのだそうで、文化的な違いといえばそれまでだが、目から感情を読み取る文化の日本、口で表現する欧米という違いは、今の日本のコミックでも、異様に大きい目の主人公というところに表れているらしい。以心伝心とか、腹芸というのも喋らずに伝わるものがあるからだろう。

 

 聖書では、神もイェスもきちんと声をかけて預言者や弟子たちを呼び出している。先週は、霊を受けるという話をしたが、今日の聖書では言葉というのがポイントだろう。口にして「行け」と言い「ついて来なさい」という言葉が、預言者や弟子たちを動かすのである。

 

 昨年CMでも有名になったが、夏目漱石が「I love you」を「吾、君を愛す」と訳した生徒に「『月がきれいですね』と訳しなさい。日本人にはそれで十分だ」と指導したという話がネットに流れていた。今の日本人にも同じ感性が流れているのであろう。直接的な言葉に表すことが野暮だったり、無粋である文化では、言葉を重視する聖書はなかなかに、理解されないかもしれない。

 

 神が“しるし”ではなく、言葉をもって語り掛けても人は変われないことが、エゼキエル書に記されている。巻物の中は、哀歌と呻きと嘆きの言葉であったとある。神は人の有様をご覧になり、呻き嘆かれたのである。それが神の選ばれた民族の姿であるなら、本当に誰が神の言葉に聞き従うことができるだろうか。それでも神は預言者に語るように求められる。奇跡であったり、嵐や地震といった災害ではなく、明確な言葉、人が聞くことのできる言葉こそが神が示される方法であった。

 

 イェスもまた同じであった。福音こそが神から出た言葉であること、呼びかけであることが告げられ、その言葉を受け入れることをイェスは願われた。

 私たちは神からの言葉を託されている。その言葉を受け入れて生きることを任されているのは私たちであることを覚えたい。

森 哲

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