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説教要旨21/8/22

ハバクク書 3:17~19

ローマ書 8:18~25

「見えないものを待つ」

 

 4度目の無会衆礼拝となった。私も含めて日本全体に「またか」という雰囲気が出てきている。ワクチン接種が進んでいるが、感染が少ないはずの夏の盛りでこの状態なのだから秋から冬にかけて再び感染が増えると考えると、ワクチン接種との競争となるだろう。決して侮ることなく、危機管理を考え続ける必要がある。

 

 私たちの教会は、これからコロナ禍とは別に変わる時を迎えようとしている。牧師の交代という時期が迫ってきている。年末にかけて、次の牧師候補者の紹介があれば、その方との話し合いや、互いの理解を深める時が必要となるし、来年度へ向けたスケジュールの作成も必要となる。コロナ禍といって時間は止まらない。安定した状況の教会でも牧師の交代は大きな出来事である。来年もまだコロナ禍が続いていれば、教会が新しい牧師を支えて、牧師と共に歩みだす覚悟が必要となる。今から気持ちを高めて日々祈り、新しい時を迎える準備の時としたい。

 

 さて、聖書の言葉を聞こう。コロナ禍にあって慰められる句であるように思う。それぞれに苦難の中にあっても、まだ見えないものに希望を託して今を耐え忍ぶのである。パウロなど今見えるものにどんな希望があるかとまで言ってしまうほどである。確かに先にあるのが“希望”であって、それがかなえられた時には“満足”はあっても“希望”ではなくなる。

 パウロの望むものは、神の子の栄光に輝く自由としているが、それがまったく新しく全世界的である具体的なイメージを描くことは私にはできない。想像力が足りないのだろう。

それでも随分と小さいが、この教会の百年先を想像してみることはできる。礼拝堂に今の私たちが全く知らない人たちが集い、共に神に賛美をささげ、共に神の言葉を聞く姿である。もちろんネット礼拝の参加者もいることだろう。

 今の私・私たちはその人々に引き継いでいく責任と希望があることを、今日のLINE礼拝の中で覚えたいのだ。新しく来られる牧師もその先駆けなのだ。時間は進むが、しっかりとした基礎があれば、残るものは歴史の中に残るものだ。それを今の私たちは自分たちの生き方の中から作り出していきたい。

 

私たちが抱いているのは、今日の聖書が示すキリストにある希望なのだ。旧約聖書において約束され、キリストにおいて成就したものを私たちは受け入れている。信じない人たちにとっては愚かなものかもしれないが、信じる者にとっては、今は見えなくとも、すでに完成したものである。今見えないということに落胆せず、必ず来るという“希望”へと高めていきたい。

森 哲

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