ルカによる福音書 24:13 〜23
証し「神様は私にも働いて下さる」
左大腿骨を骨折し、入院・手術の試練の時に神様に出会った証しです。
骨折したのは「大衆食堂」のレジの横の20cm下がった段差の床に足を取られ「どすん」と転倒したためです。足元にそんな段差があるとは思いもしませんでした。笹生病院にタクシーで飛び込み、即入院となりました。
笹生病院ではレントゲン検査の結果「左大腿骨頸部骨折で入院2〜3カ月、退院後も杖で歩けたら幸い」と聞き、取返しのつかない大変な事になってしまったことに気づきました。
7/25礼拝の説教題は「今こそ救いの日」でした。私たちの生活は、神様が働かれる中にいる。「神様が働いて下さった日」その経験を分かち合うことは良いと思う」と森牧師は話されました。この説教を聞き、手術の前日に見た幻のような2つの夢は神様が働かれたのではないかと思ったのです。1つは、除夜の鐘のような「ウォーン」とながくのびる音がだいだい色の波で流れています。その「ウォーン」という音は夫や教会の方や友人たちの祈りの声に聞こえました。もう1つは私の傷口の中で黒い服を着て、手術のシュミレーションをしている小さなお方が私の傷に手を当てています。2つのシーンはすーと消えました。神様が働かれたと思い、何の不安もなく私は手術室に向かい、手術は大成功で終わりました。
神様が働いて下さったと確信したのは、入院中「キリストの誕生」という遠藤周作の本を読んだ時です。「イエスが十字架にかかり殺された時、弟子たちは逃げ出し、イエスを裏切り、その後自責の念と絶望の中にいた。イエスは、それでも自分達を愛して下さっていた。もう一度イエスに会いたいと切に願っていた時、2人の弟子の前にイエスが現れます。聖書では「2人の弟子の背後からイエスご自身が近づいて一緒に歩み始められた」です。遠藤周作は「同伴者イエスは死後も自分達のそばに居るという意識・宗教体験があった」と書いてあり、主の復活について、このようなとらえ方なら私も理解出来、嬉しくなりました。私たちは日常的に死に立ち向かったり、苦しいことを乗り越えようとする時、夢や幻の中でイエス様に出会い、その働きを目にします。今回執刀して下さった医師は「手術が上手」と評判の、クリスチャンの医師です。不思議な恵まれたご縁でした。
これからの私は、医師によると80%しか足は回復しないとのことですが、神様はまた私にそれなりの働き場所を備えて下さると信じています。何よりも今回の事故を契機に教会の皆様・地域の友人・家族の励ましや暖かさにふれ、私の心も少し柔和になり、いつも喜び、祈り、感謝することができる人間になりたいと強く思うようになりました。
T.田中