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説教要旨21/12/19「与えられた宝」

サムエル上 2:1~10

ルカ福音書 1:39~45

「与えられた宝」

 

 クリスマスおめでとう!このクリスマス、教会に与えられたプレゼントは、宮本幸男牧師が来年4月から就任されることが正式に決まったことだ。先週12日の役員会の最中に、臨時総会で辞任が決まったと連絡があった。向こうの教会にも新しい牧師の紹介があると、後日来た受諾状にあったので、これもまたほっとする報告だった。これで来年度からのシフトが最終決定された。私も安心して後始末にかかれる。

 

 アドヴェントに入ってから、週末とか死や葬儀を扱って話してきた。生の行く先が死であり世界の終わりが終末となる。恐れや禍々しいものとして理解されるが、はたしてそうなのか。死がどのような形であれ必ず来るものであるなら、迎える準備をするのがよいのではないか。目を背けているより、しっかり見据えたほうが理解も深まるだろうし、備えもできるというものだ。

 

 さてこの3人の婦人たちに与えられた子どもたちも、それぞれの人生を歩んでいく。そして死を迎えるのである。サムエルは寿命をまっとうしたが、洗礼者ヨハネは獄死もしくは暗殺され、イェスは十字架で刑死となった。

 どのような死も、ある種の怖れを抱かせる。特にイェスのように十字架と言う残虐な刑死をみるとなおさらかもしれない。しかし、イェスの死が終わりでないことも私たちはすでに知っている。復活である。サムエル2:6主は命を絶ち、また命を与え/陰府に下し、また引き上げてくださる。とある。聖書を通して知らされているように、神は死をも超えて働く方であると記されている。

 エリサベトのルカ1:45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。これもマリアへの受胎の祝福のみならず、死を越えた“復活”への希望までがルカによって書き込まれていると考えることができる。そうするとクリスマスがイェスの誕生を喜ぶというだけの単純なものではなく、底に流れる死を越えた先にある復活を見据えたものとなる。

 

 クリスマスが12月25日なのも、ローマの冬至の祭りに被せて行われるようになったことは有名である。そうするとローマ時代の教会も、イェスの誕生と当時から太陽の昇る時間が早くなる、すなわち死から復活へのイメージを持たせたことになるので、まんざら外れたことを言っているわけではなさそうだ。

 もちろん日本の社会同様にイェスの誕生をお祝いする日であるが、死と復活もその中に含まれていることは、特に教会にいる者としては心に刻んでおきたい。それこそ、キリスト教が二千年にわたって伝えてきた宝なのだから。

森 哲

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