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説教要旨22/2/6「種が育つには」

サムエル下 12:1~10

マルコ福音書 4:1~12

「種が育つには」

 

 育つのはなにも良い種だけではない。悪い種だって育つのだ。

種を受け入れる大地も、それなりに種との相性が合って、何でも良いというわけではないようだ。ある植物学者が、雑草と言うやつは放っておくと勝手に生えてくるが、いざ育てようとするとなかなか難しいと言っていた。

 後で歌う讃美歌でも「良い大地よ」と歌うのだが、良い種が育つためには良い大地が必要だし、荒れ地の方がぐんぐん伸びる植物だっているのだから、結局のところ私は何を選ぶのかという決断・方向性が最初に必要のなのだ。米を収穫する水田なのか、水はけのよい畑なのか、願う収穫物によって耕す土地の目標も変わってくる。

 今日のダビデの話は、つい魔が差したという話しではなく、部下の妻を寝取った上に発覚を恐れて部下を殺すのである。名君と言われるダビデだが、彼の心に落ちた種はとんでもないほどの悪の種だったと言えるだろう。

まぁ私たちがそこまでの悪を育てられるとは思わないが、それは結局のところ器が小さいからだろう。大きな悪も育てないが、かといって大きな良い実を結ぶこともしない。雑草は生えてくるが、ちょっと手入れをして蒔かれた種から生えてきたものを大切に育てようとするから、そこそこの収穫を得ることができるのだ。器に合った収穫ということだろう。

収穫を増やしたいなら、器を大きくすることから始めねばならない。土地を広げたければ、開墾していくことだ。鉄腕DASHという番組では、かつて福島にDASH村と言うのを作って米や野菜を作る様子を放送していた。東日本大震災の放射能汚染で廃村になったが、それが最近近くでまた村を作ろうとしている。チェーンソーで伐採し、重機で開墾していた。それでも見ていて大変だなぁと思ったが、これを手で行うならどうだろう。

心を開墾するのに重機は使えない。器を大きくしたければ、自分で開墾するしかない。聖書を読み、祈り、神の言葉に常に耳を傾けていけば、やがてはやがては心も大きく開かれるだろう。そこに種が蒔かれれば、大きな収穫も得られることだろう。また何を育てたいのかもよく考えていきたいものだ。人と同じでなければならない法はない。そうして種を選ぶことだ。せっかく広げた大地なのだから、良い種を撒きたいものだ。見る目が無ければ、誰かに聞いてみればよい。その点、聖書の言葉なら間違いないだろう。

神様の人への慈しみが、独り子イェス様を与えてくださるほどに豊かに注がれていることを知るなら、苦労しながら耕すことも喜びとなるだろう。

森 哲

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