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説教要旨2/27「人はとても弱い」

ヨナ書 1:9~2:1

マルコ福音書 4:35~41

「人はとても弱い」

 

 ある方の話し。教会とは縁はないが、悩み苦しむ方にお祈りしますとは言えず、神様はその悩みと苦しみを癒してくださると言い切った。先週のイェスの話しを思い出したわけではないが、お祈りしますでは、相手に届かない場面に出くわすこともあるという話し。実際どのようになったかは、先になってわかるのかもしれない。

 さてその方だけじゃなくて私もだが、人って弱いのだ。聖書で信仰深い・強いのはヨブかもしれないが、彼もまた数々の苦難の中で最後には、神に向かってつぶやく。人なんてそのくらい弱いのだ。満足な生活をしていても歯が痛みだせばそれが悩みとなるし、家族が病気にでもなれば、さらに悩みは深まっていく。大きくも小さくも悩みなど消えはしないのだろう。神様がおられる・ご存知だと言ってみても人はそれほど強くないのだ。

ましてや人の力を越えるような大きな力の前では、人の力や覚悟・信仰がどれほどのものだろうか。ヨナは神のアッシリアの都ニネベに行って預言せよとの無理難題から逃れようとして逆方向に向かうが、船が嵐に翻弄されて、乗り組員に海に投げ込まれる。

弟子たちは、イェスと共いたが、やはり嵐にあってイェスが横で寝ているのに、神も仏もあるものかという状況になる。人はパニックになった時には、自分が何をしているのかもわからなくなるものだ。パニックにならなくても何してんねんと自分で思うことだってしばしばあるのだから、弟子たちが嵐を怖れて慌てているのを笑えない。

そういう自分がパニックになった時にどうするのかという予行練習はして置いた方が良い。体操も楽器も書道も練習しだいである。自衛官や消防署の隊員も普段から訓練をして、それこそ非常事態に備えるのである。信仰も同じであろう。このような訓練を日々私たちは積んでいるのだろうか。

正直なところ訓練と呼べるようなことはしていいない。だから慌てふためくのである。常に神に目を向けてと言いながらも、実際は自分の事柄にばかり目が向いているから所謂非常事態が来た時には、慌てることとなる。やはりここは今一度神様に目を向けて、何事も神様から来るということを心に焼き付けておくことが必要なのだ。「良い事もそうでない不幸と思えることも神から来る」のである。人の弱さの根源は、神様の計画・知恵を知り、理解することができないからである。

ここにサタンを持ち込むと、悪いことはサタンから来るとなる。神様しかおられないのだから、不幸と思えることだって神から来ると覚えておかないと、居もしないサタンに足元をすくわれる。これもパニックにならないための訓練の基本のひとつだと考える。

森 哲

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