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戦争体験者の人生最後の語りから

 ロシアのウクライナ侵攻が始まって1年が過ぎた。あれだけ非人道的なことが行なわれているのに、国際社会はそれを知りつつも止めることができない。ここはもう人間というものの限界が示されているように思われる。

 

 わが国の戦争体験者のラストメッセージをホスピスで聴いてきた。彼らの誰もが、戦争には反対していた。駆逐艦に乗り組み、被弾したときに傍にいた兵隊の肉片が飛び散ったときのことや、魚雷は10発に1発もあたらなかったと振り返った人。満州から引き上げる際にロシア兵に陵辱された60歳を過ぎた自分のおばあちゃんの姿が忘れられないと涙を流した人。玉音放送後、割腹自殺した上官の最期の有様が思い出されて時々叫び声を上げてしまうと呻く人。人間魚雷回天で出撃間際に終戦となり、死に損ねた人間として生きては、自分の人生は何だったのかと苦しんできた人。etc.

 

 その語りは、数年間の戦争体験がその後の人生に大きな大きな影響を及ぼしていることを表わしていた。それも人の前で語ることのできない滓のように、心の奥底に潜められて人生に暗い影を落としていた。彼らの言葉には、戦争のむごさの実体験を語らなければ、安らかには死ねないという魂の叫びが込められていた。

 

 私に戦争体験を話してくれた先達たちは、天国から今日の世の中をどんな思いで眺めているであろうか。苦々しい想いであることに違いないであろう。あれだけ口を酸っぱくして戦争はアカンと釘をさしていたのにもかかわらず、昨今は、武器使用範囲の拡大、防衛費の増額等、再軍備への道程を歩んでいる。戦争体験者が死に絶える頃に再び戦争への道が拓かれると言われる。

 

 プーチンのやっていることは、同じ人間として到底理解できず、決して許されることではない。その裁きは神に委ねるとしよう。我々も罪なき者ではない。

ロシアの文豪、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に、ロシア正教会のゾシマ長老の言葉として次のように記されている。

「人間はだれでも、すべての人に対して罪があるんだよ、ただだれもそれを知らないだけなんだ、もしそれを知ったら、すぐにでも天国が現われるにちがいないんだ!」(亀山郁夫訳)

 

 武力には武力をもって対抗するのではなく、同じ人間としてのかなしみを共有しながら、信の世界を生きていきたい。

この境地への第一歩は己を低くして祈ることであろうか。信なくば人間は生きてはいけない。小さな祈りにこそ、大きな意味があるはずだ。

 細井 順

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