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第66回 関西こころの友伝道研修会

 去る3月21日、2020年から3年もの間コロナ禍によって中断していました「関西こころの友伝道研修会」に参加するため、大阪クリスチャンセンターに行ってまいりました。そして、講師のドイツのケルン・ボン日本語キリスト教会の佐々木良子牧師より、「イエス・キリストの右手とさせていただく」という主題のもと、「自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして献げなさい」(ローマ12:1)の聖句の解き明かしを中心とした有益なお話を聞かせていただくことができました。

 

 佐々木先生はご自分の幼い子どもを亡くしたことがきっかけで、普通の主婦から牧師になった方でした。子どもを亡くされたことによって心が乱され、数年間はそれまでの普通の生活ができなくなってしまいました。しかし、その時に叔父たち家族が、まるで「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマ12:15)の聖句のごとく、「心の友」となって支えてくださったそうです。

 

 彼女が見守られながら寄り添ってもらうことの有難さを感じていた時に、「神は真実な方です。あなた方を耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れの道をも備えてくださいます。」(Ⅰコリント10:13)との御言葉が神さまから与えられ、真っ暗闇の心の中に一筋の光が射しこんで来たそうです。彼女はその時、子どもを亡くして以来、初めて生きていこうと思わされ、続いて牧師になる道が示されました。しかし、そこからの人生もご自分が脳腫瘍になるなど、想定外のことが起こり続けたということです。それでも彼女は聖書の御言葉による支えの力と、周りの人からの祈りによる支えの力を受けて、数々の危機から奇跡的に逃れ続けていくことができました。

 

 そのような人生を歩まれた佐々木先生は、神の子イエス・キリストが、私たちのために十字架の上で身体を献げてくださったことに感謝をもって応えるのが、神さまに対して正しく応答する生き方であることを、「二つの愛」を語られることで説明されました。

 まず一つ目は、「身体を張る愛」です。人が誰かを助ける時には身体を張ります。溺れる人を助けるのに、上から指示しても助けられません。自ら覚悟して水の中に飛び込むのです。つまり、それは身体を張って助けることです。イエス・キリストはまさにそうでありました。私たちを助ける為に上から良いアドバイスをしたり、知恵を与えたりしたのではありませんでした。罪の中に沈んでいく私たちを、イエスさま自らが身体を張って十字架にお架かりになり、私たちを救ってくださったということです。

 

 そして二つ目は、「犠牲を伴う愛」です。イエスさまは、人のために生きました。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕するところもない」(マタイ8:20)。この御言葉のごとく、イエスさまは人のためにあちこちに引き回され、容赦なく時間をとられ、生涯安住されませんでした。そのイエスさまの生き方から、自分が苦しむことも、傷つくこともないところには愛はないと言えます。「イエスさまの真似はできませんが、人を助ける為に自分の何かを犠牲にすることこそが愛です。」と佐々木先生は語られました。

 

 今回の佐々木先生のお話から、イエス・キリストの御名を与えるために、この世界に遣わされているのが教会だということを思わされました。私たちがイエスさまの右手になることが、神の御心をこの地上に実現するために必要なことだということです。その為に私たちに賜物が与えられていて、誰かの何かの必要の為に用いられていきます。神の恵みから遠く離れて生きていた人が、神を褒め称え、神に期待して豊かな人生を歩むために。また、神と共に、また信じる人々と共に、前に向かって歩み出す恵まれた人となるために。そのお手伝いをさせて頂くのが私たちの使命であり喜びであることを、あらためて心に刻むことができたことに感謝いたします。

宮本幸男

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