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火傷のできごと

 9年前のことですが、顔と手に大火傷をしたことがあります。

顔はレベル1、手は2で、1カ月の入院治療により傷跡はわずかで済みましたが、「自分の不注意で顔を焼いた」ことは、心の痛みでした。

 その時、お見舞いに大勢の友人が来て、慰めや励ましをしてくれました。中に、聖句(聖書のことば)が書かれた色紙を黙って下さった教会員の方がありました。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全てのことに感謝しなさい」テサロニケ5章16~18節

 

 聖パウロの言葉にどこか惹かれながら、何度も読み返しながらも、沈んだ心に喜びや感謝は受け入れがたいものでした。しかし、痛みも包帯もとれていくごとに希望も出て来て、退院後、顔の黒皮症との闘いなどのマイナスイメージより、感謝や喜びの比重が高まっていき、この聖句は私の一番好きなものとなりました。

 

「神よ、私の内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください」

詩編51編12節

 

 日記を書くのを習慣にしていますが、火傷の後から「一日の楽しかったこと。良かったことを見つけて書く。嫌だつたこと、腹立たしかったことは書かない」と決めました。

 最初は心を偽っているように思えたものですが、平和な環境の中で過ごせる暮らし、青空の日に、今日は布団を干してふかふかにしょう。きのうのいらいらした気持ちは切り替えて、今日は清らかに過ごそうなど、プラスの気持ちが芽生えます。昨日意見が衝突した人に、次の日、「おはよう!」と明るく言う(言えない日もある)ことが出来るようになったら素敵だと思うからです。

 

「ひたすら主に喜ばれる者でありたい」 コリント2 5章9節

 

 今、わが街の公共花壇の管理・清掃のボランティアをしています。

夏場は毎日水やりをします。四季折々に花を植え替え、珍しい花も時々植えます。

カサブランカや、夏場はポーチュラカ、センニチコウ、インパチェンスなど多品種が咲いています。道行く人が「きれいね」「ごくろうさま」と声をかけて行かれます。全く知らない方が、いい言葉と笑顔を何気なくかけられる不思議な空間です。

 神さまが喜んで下さったら嬉しいので、楽しんで活動出来ます。

 

M・T