両親と共に洗礼を授かってから30年以上の歳月が経ちました。
日曜日毎に礼拝に出席したり、教会の行事に関わることで心が満たされるようになってからはまだ年月が浅い私です。
母が帰天したことから、私の信仰に転機が訪れました。
熱心なクリスチャンだった母の手帳に、「教会の集いに娘が参加しますように」と、祈りにも似たメッセージをみつけました。
「ママ祈りは届いたよ」と親不孝を詫びながら、亡き母に語るこのごろです。
さて、毎月第一日曜の礼拝後に、『麦の会』という教会員の親睦の集いがあります。
昨年、私はその会の代表をさせていただきました。
母が天国からハラハラしながら喜んでくれているかしら?と思いながらの一年間。代表といっても、関わってくださる皆様の協力でなる集いです。
麦の会について少し披露させてください。礼拝の後、みんなで和気あいあいと昼ごはんをいただきます。そのあとしばらく交流の時を持ちます。心もお腹も満たされる2時間程の午後のひとときです。
90歳代の人生の大先輩や、時には10代の学生さんがいたりします。初めて教会に来られた方もウエルカムです。
食事の後、その月の担当の方が自分の趣味や関心ごとなどについてお話しします。そしてそのテーマに触れてみんなで自由に語りあったりします。楽しく讃美歌や季節の歌などを歌う時間もあります。また、月によっては絵手紙を描くときもあります。季節の野菜や花を題材にひと言メッセージを添えると楽しいです。
わたしは、日常生活のなかで、人には言いにくいこと、解決の糸口がつかめなくて渾沌としてしまうことがあります。そんな時に、集いの中に身を委ねられることで、不思議な力がいただけ、リセットができます。
人生の旅路の道しるべを選択するのは自分なのですが、それだけではない何か目に見えない大きな力を感じます。うまく行くと感じられること、しかし、それもわかりません。逆に困難の中にあっても、心は平安に満たされている時もあります。
大切な人のために何かしたいと思っても、なかなか思うばかりの私ですが、神様に思いを打ち明けることができることで、羽根を得たように楽になれたりします。
同じ空間、時間にいても思いはそれぞれですが、その輪の中に何か平安な空気があり共有できることは大きな恵みに感じます。
聖書についてまだまだわからないことばかりで勉強が足りない私です。しかし、現代を生きる私たちに共通する言葉に出会えた時にはワクワクします。讃美歌も先人たちからの魂のメッセージだと思います。
あなたもご一緒に教会で、小さな麦の一粒からの収穫を味わってみませんか。
K.A