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ポーランド紀行「記憶の襞に刻みつけておきたい強かさ」

   川が街の表情を作っているようだ。この川がどこから流れてくるのかいつから流れているのか確かめてはいないのだが、きっと沢山の国を通り、沢山の人々の生活を支えてきたのだろう。とうとうと流れるヴィスワ川が何世紀も変わらない水面を光らせて我々を迎えいれてくれた。

 この川は現在平和を享受しながら流れているが、この川こそがポーランドの抑圧された時代をよく知っているように感じた。ポーランドは列強国に挟まれ幾度となく侵略された歴史を担っている。

高校時代ポーランド回廊という言葉を習ったが、ここにやって来てその意味がようやく分かった。バルト海への通り道としてここポーランドが重要な土地であったということなのだ。でもこれって失礼なことではないか。人の母屋をずかずかと軍靴で踏みにじって行く。まさに廊下そのものだった。

しかし、ポーランドの国民はその都度、立ち上がってきたのだった。緑の豊かな国土を軍靴で汚させはしない、我々から自由な心を奪い取れるものは誰もいないーーーその自負心が街の至る所に建てられている銅像に象徴されていた。  

 第二次世界大戦ではヒットラー率いるナチス・ドイツの占領下におかれた。ポーランド政府は降伏せずポーランド亡命政府をパリに置いて戦ったのだ。ヒットラーはこの反抗を許さずワルシャワの街を爆撃で破壊し尽くした。しかし、人々は、この逆境に屈することなく立ち上がっていった。

この時、ポーランド市民は破壊し尽くされたこの街を悲嘆の思いで見つめたに違いない。けれども、彼らは決して立ち止まらなかった。その破壊された建物の土台の上に写真や設計図を元にして新たな街の再興を図った。 

 1980年ワルシャワ歴史地区として世界文化遺産に登録された。

しかし、この時「破壊からの復元文化財は登録に値しない」という意見も出されている。しかし、ワルシャワ工科大学の関係者はこう語っている。「復元されたからこそ登録に値する。もし、ワルシャワ市街が破壊と復元の歴史がなく、残っていたならば登録しようとも思わない。」と。

ここは、有形文化財というよりもむしろ無形文化財である。破壊から復元へ、そしてそれを維持していくなかで、平和を築き上げていこうという人々の高邁な理想が世界に認められたのだ。「平和は、与えられるものではない。闘い取るものだ」ということをポーランドの市民は、この街並みを通して我々に語りかけ教えてくれていた。

 更に付け加えるならば、赤レンガに強くこの思いを刻みこんだのだった。理不尽な力に屈したくないという思いから、壁の傷跡一つまで記憶を元に再現したという。確かにここは、戦後復興した新しい街、見方によればテーマパークとして見てしまうことだろう。でもしっかりとこの事実経過を心に刻みつけておきたい。抑圧者の視点は上から下の見下す視点。物事をみようとする時、少し身を屈めて下から見上げると物の実像が見えるのかも知れないなと、この街を歩きながらそんなことを考えていた。

田中基信

 

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