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夏の思い出

 涼しい風ともに秋が訪れ、新型コロナウィルス感染蔓延の恐怖感と共に過ごした暑い夏も後ろ姿になりました。

この夏、私の心に深く刻まれ、語りかけてきたのは、戦争の追悼番組で見た75年前の夏の日の悲惨な記録映像でした。

広島と長崎の原爆投下時のカラーフィルムの惨状を目にし、犠牲となられた人々の苦しみが私の心に重く刻まれました。

あの日、戦時下の中にありながも、私たちと同じ日常の生活があった人々の一瞬にして失われてしまった命。

被爆によって一変してしまった生活、後遺症の苦しみ。

測りしれない現実が歴史の中にあったことを改めて認識した気がしました。その惨状から今日の日本社会における私たちの生活に至るまでの時間の流れの中で、どれだけのたくさんの人々の涙や悲しみがあったことか、と改めて思い知らされた気持ちになりました。

 

 今年還暦を迎えた私は、まさに高度成長期に育ち、物質的には豊かに見える社会の中で生きてきました。豊かさとは、一体何かしら?と、ふと思いました。

今は亡き両親を初め、私の人生に関わってくれてきた人たち、出会いがあり、別れもありました。人は決して一人では生きていけない、と思います。

日常の生活では見知らぬ人が作られたものを口にし、病の時には診断を仰ぎ薬を処方してもらいます。信頼があるからこそ成り立たっている日々の生活を実感しています。

 戦後の焼け野原から現在の日本社会が築き上げられてきた背景には、人々に信頼関係と共にお互いを高め合い助けあおう、という気持ちと努力があったからこそ、と感じています。

名も知らないたくさんの人たちの支えや愛情の元に生かされている今の自分を思います。

街に出れば、モノは溢れています。それらは時に目を楽しませてくれます。

でも、本当に私を生かし活力を与えてくれているのは、私の人生の過程で出逢えた言葉であったり、今は思い出の中の人々が惜しみなく与えてくれた愛のこもったメッセージだったりします。

身内や近しい人々からのみ与えられているのではなく、会ったこともない誰かの言動だったり、書物を通して感銘を受けた言葉からだったりもします。

目に見える物や、手に取って感じられる物ではないが力をくれるものがあります。

人生の過程には、右か左か道を選択しないといけないことがあります。最終的に決めるのは自分なのですが、決断を下すにあたり不思議な力が湧いてきて道を示してくれる、と感じることがよくあります。

また、どうしようもなく心が折れてしまった時、どんなに科学技術が進んでも人には創る事ができない、自然の美しさ、木々や花々がくれる美しさや優しさに救われています。

 

 新型コロナウィルスはまだすぐには地球から消えてくれそうにないようです。

人類の生活様式も変わっていきます。携帯電話を携帯することが当たり前の時代になってしまいましたが、マスクもしばらくは私たちの生活に必須になってしまいそうです。

戦後75年の歳月を通して先人たちが築き上げてくれた社会の中で、自分も歯車の一つとしての役割を深く考えさせられた夏でした。

なんだかんだと理屈っぽい分別あるようなことを語ってしまいました。しかし、自分がいかに俗っぽい人間であるかも、自覚しています。

こんな私の人生の道しるべとして聖書からのメッセージは心を豊かにしてくれる大きな力を与えてくれています。

K.A

 

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