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説教要訳22/5/1「ほんものは誰だ!」

エゼキエル書34:7~15

ヨハネ福音書10:7~18

 ほんものは誰だ!」

 

 聖書には「羊飼い」や「羊」という言葉がよく出てきます。そもそも羊は臆病で無力な動物で、生き抜くための知恵を持ち合わせてはいません。しかし、そのような羊にも素晴らしい能力が一つだけあります。それは自分の羊飼いの声を聞き分ける能力です。それができなければ、羊は生き延びることはできません。また羊飼いはそのような羊を守り導くために、自分の飼う羊にそれぞれの名前をつけ、その特徴をよく覚えようとします。

 

 聖書は神と私たちの関係も、「羊飼い」と「羊」と同じだと語っています。すなわち、神は私たち一人ひとりの名前も特徴もよく覚えているし、私たちも神の声を本来は聞き分けることができると言うのです。しかし神の声を聞くと言っても、実際の耳で「肉声」を聞くという意味ではありません。私たちの心にすでに植え付けられている聖書の言葉を聞くということです。だから、神の言葉を聞くには、聖書の言葉を受け入れていなければなりません。

また神はあなたに絶えず話しかけたいと願っておられます。そして神はそれに応答するあなたの祈りの言葉を待っているのです。仲の良い家族や恋人が語り合うように、神は私たちと1対1の関係でいつも直接語り合いたいのです。

さらにイエスは、「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。」と語ります。そこまで言うのは、間違えて入りそこなう門が他に多くあるからです。そのようなものに惑わされないように、イエスはご自分こそが本物であることを示しながら、私たちを新しい命へと招いていておられるのです。

 

 聖書の言葉によって、私たちがイエス・キリストを救い主であると信じた時に、不思議に私たちに新しい命が与えられます。しかしそれは新しい命の始まりにすぎません。一度与えられたその命はさらに多くの聖書の言葉によって成長し、豊かさが日々増して行きます。単なる命でなく豊かな命として成長していくのです。

宮本幸男

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