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日本キリスト教団 香櫨園教会
カテゴリ:説教要約
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2025年
· 2025/06/08
説教要約2025/6/1「心を開かせる神の霊」
パウロは、フィリピの町でリディアという名前の婦人と出会います。リディアが高価な紫布を商っていたことから、彼女は相当なお金持ちで、知り合いには特権階級の人が多くいたことでしょう。家族同然の僕たちもたくさん抱え、毎日を自由に過ごすこともできたはずです。
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2025年
· 2025/06/01
説教要約2025/5/25「神があなただけに使う方法」
主イエス・キリストを信じる人々は、様々な方法によって神に導かれていきます。その中に「状況による導き」というものがあります。エルサレム教会の人々が、各地に散って伝道していったきっかけも迫害という状況でした。彼らは苦しく辛い状況の中で離散していきました。しかし、神はその状況を利用して、彼らを宣教地に派遣し、彼らとその土地の人々に祝福をもたらせていきました。
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2025年
· 2025/05/26
説教要約2025/5/18「自立と共生のバランス」
神による新しい出会いがパウロに用意されていました。それは、ユダヤ人を母に持ち、ギリシア人を父に持つ、若きテモテとの出会いでした。パウロは、ユダヤ人伝道と異邦人伝道をする上で、テモテのように二つのルーツを持つことが有利に働くことを知っていました。
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2025年
· 2025/05/18
説教要約2025/5/11「あなたもOK、わたしもOK」
パウロとバルナバの二人は、再び宣教旅行に出かける準備を始めました。ところが、「マルコと呼ばれるヨハネ」を連れて行くかどうかで意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになってしまいます。 マルコは、最初の伝道旅行の際にも二人の助手として同行しましたが、何らかの理由で、二人と別れてエルサレムに帰ってしまいました。だから、パウロは、マルコが伝道旅行の足手まといになると思って反対したのでしょう。一方、バルナバの方は、マルコにセカンドチャンス与え、名誉挽回をさせてやりたかったのだろうと思います。
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2025年
· 2025/05/12
説教要約2025/5/4「励ましに満ちた決定」
この歴史的なエルサレム会議で決められたことは、異邦人は「割礼などのユダヤの律法を守るという行い」によって救われるのではなく、「主イエスの恵み」によって無条件で救われるということでした。そして、この決定がシリアのアンティオキア教会をはじめ、世界各地に散らばっている教会に伝えられていきました。
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2025年
· 2025/05/05
説教要約2025/4/27「命を支えるオアシス」
バビロン捕囚という民族的悲劇によって、南ユダ王国の人々は捕虜となり、遠くバビロニアの地に強制移住をさせられます。絶望に打ちひしがれる南ユダの人々に、預言書イザヤは「あなたたちは喜びのうちに、救いの泉から水を汲む」と語り、神の愛を信頼し、帰還する希望を失わないように励まします。やがて、彼らはペルシア帝国によって解放され、故郷に帰ることを許されます。そして、約束された救いの水は、彼らの身体の渇きだけではなく、心の渇きも喜びで潤していきました。
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2025年
· 2025/04/28
説教要約2025/4/20「過ぎ去った時が未来を拓く」
マグダラのマリアは、イエスの遺体が墓から無くなって途方に暮れました。墓の外に立って泣くしかない彼女に、天使たちは「婦人よ、なぜ泣いているのか。」と呼びかけます。その呼びかけに対して、マリアはイエスを失った深い悲しみを語り始めました。そして、マリアが自分で後ろを振り向くと、誰かが立っているのが見えました。しかし、マリアは、その人がイエスだとは気づきませんでした。
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2025年
· 2025/04/21
説教要約2025/4/13「自分を見つめる空」
イエス・キリストは十字架の上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と父なる神に向かって大声で叫ばれました。この言葉は、まるで神への信頼を失ってしまった人が、自分の人生を嘆いているようにも聞こえます。 この叫びは詩編22編の最初の言葉と同じです。
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2025年
· 2025/04/14
説教要約2025/4/6「人も自分も幸せになる方法」
十字架に架けられて死ぬ覚悟を持って、イエスは先頭に立ってエルサレムに上って行かれました。しかし同時にイエスは喜びに満ちていました。なぜならば、イエスは父なる神の御心を忠実に行うことを決意していたからです。
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2025年
· 2025/04/06
説教要約2025/3/30「微笑み返し」
自分の人生は長くない。私は終活のつもりで、牧師を目指して西宮市に来ました。幸いにも、残りの人生を捧げるつもりが、全国に2つしかなかった自身の病気の専門科が、たまたまこの地にあり、自身の体が癒されることになったのですけれど。社会から離れ闘病生活を送っていた私が、人生の指針としてきたのが今日皆さんと分かち合いたい聖書の御言葉になります。
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