カテゴリ:説教要約



2024年 · 2024/04/22
神は私たちを様々な方法で導かれます。その導きの中で、私たちは様々な人と状況に出会います。その目的は、新しい出会いの中で、私たちの目の前に「喜びの道」が開かれていくためです。

2024年 · 2024/04/15
伝道者フィリポが訪れた町には、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していたシモンという人物がいました。彼は使徒ペトロとヨハネが人々に聖霊を授けている力に驚き、「わたしにもその力を授けてください」とお金を差し出してまで頼みます。

2024年 · 2024/04/08
神がイエス・キリストの復活の御業をなされたのは夜が明ける前の暗いうちでした。このことは、私たちの人生の暗闇の状況の中においてでも、神は確実に働いておられることを示してるようです。しかし私たちはそれに気づくことがなかなかできません。

2024年 · 2024/04/01
イエスは平和の象徴である「子ろば」に乗ってエルサレムに入城されました。その時にエルサレムの人々は、「ホサナ、主よ、お救いください」と、まるでローマ帝国を打ち破る王を迎えるかのごとくにイエスを迎えました。しかし、その日から5日後には、彼らは「イエスを十字架につけよ」と叫ぶのです。

2024年 · 2024/03/25
詩編23編の少し前に、「わたしは虫けら、とても人とはいえない」というダビデの嘆きの詩があります。大学に入学する以前の私は病気で、床に臥せっていました。そんな私を神は教会に仕えるようにと導き兵庫の地へとやってきました。当時の私には、牧師に必要な能力は何もないどころか、一般に生きていくための健康すらもっていませんでした。

2024年 · 2024/03/18
ベタニアのマリアと呼ばれる女性が、自分の大切にしていた高価な香油をイエスの体に塗りました。けれども、このマリアの行為を無駄な行為と非難したのが、弟子の一人のイスカリオテのユダでした。

2024年 · 2024/03/11
この手紙を書いたパウロは自分で誇れるものをたくさん持っていた人でした。彼はユダヤ社会で尊敬されていた律法学者であり、その中でもずば抜けて優秀な人でした。  パウロは自分の体に「一つのとげ」を持っていたことを告白しています。

2024年 · 2024/03/04
祈りとは何でしょう。祈りは見えない、形のないものなのでしょうか。祈りに触れることは適わないのでしょうか。 2016年の夏、わたしが携わった東北教区被災者支援センター・エマオにボランティアにやって来また大学生は、「3.11」当時まだ中学生でした。

2024年 · 2024/02/26
ステファノの処刑によって教会は大きな迫害を受けることになりました。歓迎できない出来事ではありましたが、その迫害をきっかけに、イエス・キリストの福音は、満を持して世界に広がっていくことになります。

2024年 · 2024/02/19
ユダヤ最高議会の裁判の場で、被告人ステファノの弁明の言葉を聞いたユダヤの人々は怒りました。そのとどめの言葉は、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」との言葉でした。その言葉をきっかけとして、人々はステファノに襲いかかり、石打の刑に処したのです。

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