カテゴリ:説教要約



2025年 · 2025/09/08
試練が襲った時、悲劇にある時に私たちは苦しみ悲しみます。私たちは、そのような状況の中にいたとしても喜びに満たされていきます。なぜならば、私たちは、復活し、今も生きておられる主イエス・キリストに従順に従うことによって、喜びに満たされていくからです。

2025年 · 2025/09/01
パウロは、再びエフェソの教会を訪れ、何人かの信徒たちと話をしているうちに違和感を覚えました。それは彼らの信仰に聖霊が感じられないことでした。そこで、パウロは彼らに「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」との質問をします。しかし、彼らは「ヨハネの洗礼(バプテスマ)を受けたが、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません。」としか答えられませんでした。

2025年 · 2025/08/24
 イエスの十字架の死、復活、昇天、聖霊降臨の出来事の中には、神の広く深い愛が込められています。それをアポロが理解していなかったとしたら、彼の語るメッセージは「悔い改めてイエスをメシアとして受け入れよ」という段階で留まっていたことでしょう。

2025年 · 2025/08/18
地方総督のガリオンの判決によって、コリント伝道の妨げが少なくなりました。今まで以上の成果が期待できましたが、パウロはコリントに別れを告げて船でシリア州に旅立ちます。この時、パウロは「神の時」を感じたのではないでしょうか。

2025年 · 2025/08/09
婦人たちは天使からイエスの復活を知らされます。彼女たちは、それをイエスの弟子たちに知らせるために走りました。その途中、イエスが彼女たちの行く手に立っていて「おはよう」と挨拶されます。  そのイエスが実際に話した言葉は「シャローム」、「平和があるように」という意味のあいさつの言葉であったのではないかと言われています。

2025年 · 2025/08/03
神はアテネでの伝道の結果に、将来の不安と恐れを覚えるパウロを励ますため、アキラとプリスキラというユダヤ人クリスチャンの夫婦と出会いをプレゼントしました。この夫婦もローマ皇帝の命令により、ローマから追放させられ、失意のうちにコリントに流れ着いていたのです。この夫婦はパウロにとって、自分のそばにいてくれるこころの友となりました。

2025年 · 2025/07/27
アテネでの伝道において、パウロがまず心がけたのは、目の前にいる聴衆との接点を見出すことでした。彼らは異邦人なのですから、ユダヤの律法は接点になりません。また、多神教を信じる彼らに、唯一の神を教えることも接点にはなりません。そこでパウロは、彼らが信仰にあついことを誉めたうえで、彼らが祭っていた「知られざる神」や、古代ギリシアの詩人の言葉を引用することによって接点を作りつつ、聖書の福音の核心を語りました。

2025年 · 2025/07/19
パウロの時代には、人間の知恵で作られた神々を真剣に拝むという偶像礼拝が栄えていました。アテネを訪れたパウロは、どこを向いても偶像だらけという状態を見て憤り、人々の集まる広場で福音伝道を始めます。

2025年 · 2025/07/14
* パウロはテサロニケで迫害を受け、ベレアに逃れ、そこで多くの人が信じました。これは、神が恵みのサイクルを通して働いておられることを示しています。 * ベレアの人々は、心が柔らかく、人の言葉を受け入れやすく、聖書を調べることに熱心でした。 * 私たちも試練の中で恵みを経験し、神が常に恵みを用意しておられるという確信を強めることができます。

2025年 · 2025/07/06
パウロとシラスは、フィリピの高官たちによって、裁判も受けずに投獄されてしまいます。 翌朝彼らは、派遣された下役たちから釈放すると聞いても、そのまま従うことはありませんでした。自分がローマ市民であるのにも関わらず、不当に扱われたことについて執拗に抗議をしていきます。そして、パウロはローマの市民権に元づく権利を主張して、公の謝罪と高官のエスコートによる出所を要求し、それが実現されました。

さらに表示する