カテゴリ:説教要約



2026年 · 2026/05/31
聖霊降臨の日、使徒ペトロの語る説教を聞いたユダヤの人々は、自分たちが神に逆らって歩んでいたことに気づき、その過ちに心を大きく打たれます。使徒ペトロは、そのような彼らを悔い改めに導こうと、自分を赦していただいて「聖霊」によって新しく生まれ変わることを教えました。

2026年 · 2026/05/25
かつて主イエス・キリストは、十字架刑で殺されて墓に葬られましたが、三日目に復活しました。そして、40日に渡って弟子たち500人以上に現れ、ご自分が生きておられることを数多くの証拠を持って示された後、神の領域である天に昇って行かれました。

2026年 · 2026/05/17
預言者サムエルの母となったハンナは、ある時まで子どもが与えられませんでした。子どもを産めない女性は、当時は「神に呪われた女」と見なされていました。その為、彼女は嫌がらせを受ける中で、苦しみ悲しんでいました。 しかし、与えられた苦しみによって、ハンナの信仰は確実に深められていきました。彼女は自分の心を注ぎだして祈る中で、少しずつ自分自身を神に明け渡し、魂にしずかな平安を得ようとしていたのです。

2026年 · 2026/05/10
私たちは日々「二つの目」をもって生きています。一つは肉の目、もう一つは心の目です。肉の目は、形あるものや外見を見ることができる目です。しかし、心の目は、神様の「御心」「愛」「恵み」などのような「目には見えない大切なもの」を見つめる目です。どちらも大切な目ですが、私たちが生きる上で、本当に必要なものは心の目でこそ見えてきます。

2026年 · 2026/05/03
神の愛は尽きることがありません。まるで、干からびた私たちの心を癒す命の水の泉のようです。そう信じて神としっかり繋がると、自分の弱点と向き合うことが出来るようになっていきます。それは、自分の弱点を見たとしても「それによって自分の価値はなくならないし、神の愛を取り消す力もない」という安心感が心を満たしていくようになるからです。

2026年 · 2026/04/26
ローマ総督フェリクスは、パウロから保釈金をもらおうとする下心から判決を引き延ばしていきます。しかし、彼は何度もパウロと接見する中で、パウロが語る正義や節制や来るべき裁きについての話に恐れを抱き始めました。  それは自分の身に覚えがあって、恐ろしい裁きを受ける可能性があると感じたからでしょう。しかし、フェリクスは「今回は」と言っては、何度も途中で話を打ち切りにしていきました。彼には悔い改めのチャンスが与え続けられていましたが、最終的にチャンスを生かすことはできませんでした。

2026年 · 2026/04/20
復活の主イエス・キリストを救い主と証言する人々の群れは、周囲の人々からユダヤ教の一分派として「ナザレ派」と呼ばれていました。また彼らは自分たちのことを「この道」と名乗っていました。

2026年 · 2026/04/12
弟子たちはイエスの死に絶望しただけではなく、自分たちがイエスを裏切り逃げ去ったことに心を痛めていました。また、彼らは「イエスの復活の証言」をマグダラのマリアや二人の弟子たちから聞いていましたが、彼らの心はかたくなで信じることが出来ませんでした。そこに復活のイエス・キリストが現れ、彼らは初めてイエスの復活を信じることができました。

2026年 · 2026/04/06
私たちは問題を抱えている時にだけ救いを求める勝手な存在です。苦しい中に御利益を願って神に救いを求め、その願いが叶えられたと感じたら「自分は救われた」と思うことでしょう。もしも、その救いを神に心から感謝をすることが出来たならば、それはそれで尊いことだと思います。

2026年 · 2026/03/29
イエスの弟子たちは「この世で出世して偉くなりたい」と「人間が認める偉さ」を求めていました。しかし、イエスは「皆に仕える者」「すべての人の僕」になるという「父なる神が認める偉さ」を求め、それを弟子たちに教えようとされました。

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