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説教要約22/9/11「神の愛が宿るとき」

エレミヤ書1:4~10

Ⅰコリント12:27~13:13

「神の愛が宿るとき」

 

 「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」

 この「愛の賛歌」とも呼ばれている箇所には、愛の特質が書かれています。この世界にはいろんな愛があります。しかし、ここで愛のしるしとして描かれているものは、まさに神が私たちに求めている愛なのです。それは「愛は忍耐強い」で始まり、「すべてに耐える」で終わっています。まさに聖書は、耐えることが愛であるかのごとく語ります。

 

 イェス・キリストは忍耐強い、情け深いお方でした。本当はもっと生きたかったことでしょう。しかし、私たちの罪の赦しのためにご自分をささげ、十字架にかかってくださいました。そして復活してくださり、今も私たちに対して、忍耐強く、情け深く生きてくださっています。そのキリストの霊である聖霊が私たちに宿るとき、キリストと同じ愛が宿るときに、私たちは段々とキリストのように愛に生きる者となっていきます。

 

 エレミヤ書に、「わたしは、母の胎内に造る前からあなたを知っていた」と書かれています。これが神の知り方であり、神の愛し方です。私たち一人ひとりの弱さも欠点も、全てを知った上で神は私たちを愛しているのです。一方、私たちはその人の一面だけを見て愛せないことがあります。私たちの知り方、愛し方は、しょせんその程度のものなのです。 

 

 ですから、神はすべて知ってその人を愛していることを信じることが、何よりも大切です。 そうすれば、その人のことを何も知らずとも、受け入れることができるようになります。神の知り方、神の愛し方によって、私たちは誰とでもつながり、「互いに愛し合いなさい」というキリストの「新しい掟」を守ることができるようになっていくのです。 

 宮本幸男

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