
出エジプト12:21~27
ヘブライ9:23~28
「入れ替わるキリストと私」
私たちは誰しも例外なく死んでいきます。しかし聖書によると、私たちは死んで終わりというのでなく、まず神の裁きを受ける為に、ただ一人神の前に立たされることになるといいます。
そこに2000年前にこの地上に人間として現れてくださった主イエス・キリストが再び現れ、私たちと共にいてくださいます。自分が生きていたときのことを振り返り、「自分は大丈夫なんだろうか。」と、心細く神の前に立たなくてはないときに、もう一度キリストは現れてくださいます。ですから私たちは神の前に「もう大丈夫なんだ」と、安心して立つことができるのです。
そのようなことが起こる理由は、キリストが十字架の上で死んでくださったとき、キリストが罪人となり、私たちがキリストとなったからです。その時キリストが私たちと入れ替わってくださって、身代わりとして罰を受けてくださったのです。そして裁きのときに、再びキリストが罪人である私たちを覆ってくださっているので、神は私たちの罪を再び思い出されることはありません。私たちは完全に永遠の命を持つ者となるのです。
永遠の命を持てるのか、それとも永遠に滅ぶ者となるのか。それはキリストの十字架に対する私たちの一人ひとりの信頼にかかっています。キリストの十字架で流された血潮は、私たちのすべての罪を赦し、きよめる力を持っています。私たちの罪に対する神の怒りと、罪の結果である永遠の死は、キリストの十字架と流された血潮の力を信じる者の前を過ぎ越していくのです。
宮本幸男