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説教要約22/10/9「何にも縛られない」

 新約聖書のコロサイ書は、パウロがコロサイの教会に書き送った手紙です。このときグノーシス主義と呼ばれる運動がコロサイの教会にも押し寄せ、キリストの福音が曲げられ始めていたのでした。そのようなコロサイの教会を正しい方向に導く為に、この手紙はパウロによって書かれたのです。

 

 古代の教会に影響を与えたグノーシス的な考え方は、21世紀の今も生きていています。広くこの社会に浸透し、私たちは少なからず影響を受けています。その考え方は、「宇宙」とか「生命」という大きな存在と自己とのつながり、また人間の持つ無限の潜在能力を強調します。そして、個人の霊性・精神性を向上させることを目指すように教えます。あたかも自分自身が創造主にでもなれるかのように人を惑わすのです。最近ではその教えは「スピリチュアル」とも呼ばれています。

 

そのすべてが悪だとは思いませんが、クリスチャンがキリストに祈ることも頼ることも忘れて、全面的にそれに信頼しているとしたら大いに問題があります。なぜならば、すでにキリストの中に知恵と知識の宝がすべて隠されているからです。そのキリストは信じる者の内に住んでいてくださっています。そして、私たちがキリストと共に歩むとき、キリストが救いをもたらしてくださるのです。

 

しかし、私たちは知らず知らずの内に、救いに必要のない余計なものを自分の内に溜め込んでしまっています。それに縛られ、不自由な者とされて生きています。そして、神の祝福や恵みが感じられなくなり、不安や恐れに支配されていることが多いのです。

そのような支配を受けないために、聖書は神と1対1の関係の中で真剣に祈ることを教えてくれています。その祈りの中で、自分で自分を救おうとする傲慢さが砕かれることによって、はじめて私たちは神の祝福や恵みにあずかることができるのです。

 

 救いを切に求める格闘をするような祈りに、神が応えて働きます。神は私たちを無力な者にされて、自分自身ではなく神にのみ頼る者にされます。そのときにこそ、人は本当の平安の中に導かれていくのです。

宮本幸男

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