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説教要約22/10/30「すべてが神のものとされる」

「すべてが神のものとされる」

イザヤ45:18~25

ローマ14:1~12  

 

 私たちは多かれ少なかれ、出逢った人から影響を受けて今があります。そのような影響は、その人の行いを通して、神の働きとして私たちに与えられているのかもしれません。

与えられた一つ一つのことは、自分にとって「良かった」と思えたことも、逆に「良くなかった」と思えたこともあったことでしょう。しかし、神は災いと思えるようなことを祝福に変えるお方です。ひょっとしたらあの辛い出来事も、その人を通して自分に与えられた、「神からの贈り物」であったかもしれません。ですからたとえ今、辛い人生を生きていたとしても、最後の最後には必ず救ってくださる神を信じてください。

 

それでも、「死」という人生の困難の前では限界を感じてしまうのが私たちです。しかし、聖書は自分自身の無力さを嘆いたりする必要などないことを教えています。なぜならば、生きているときにも死んでいるときにも、私たちの命を支配しているのは神以外にないからです。神は決して私たちを手放すことはありません。たとえ私たちが死んでしまったとしても、私たちの命を握り締め、守りの中に置いてくださっています。

 

その守りは、私たちが天にいる方と再び出逢う時を実現させます。同じ神のものとされていて、同じ神の支配の中でしっかりと握りしめられているお互いであるならば、再び一緒に生きることができるのです。

 

 先に天に召されたあの人に、何か聞き残したと思っていることはありませんか。再び出逢う最初の時、どうぞそのことを聞いてみてください。「生前になんであなたは私に対してあんなことをしたのか」と、いろんな恨みもあるでしょう。ひょっとしたらこちら側が、「ごめんなさい」と、謝らなければならないこともあるのではないでしょうか。

 

神に対しても同じです。「なんで私の人生に歓迎しない試練があったのですか。」、そのような疑問があるならば、どうぞ聞いてみてください。あなたの心の中に残っているすべての疑問が明らかになる時が来るのです。その時はすべてを赦し合う時、すべての恨みや後悔が消え去る時、あなたの辛かった人生が報われる時なのです。

宮本幸男

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