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説教要約22/11/13「生きている者の神の名は」

出エジプト3:1~15

ルカ20:27~40

 

 今日、自己責任が言われているこの世の中で、私たちは将来のことを心配して生きています。そして、私たちは物事を自分中心に考えることが多くなってしまいました。その原因の一つとして、聖書の神がどういうお方であるのかを、私たちが忘れてしまっていることが挙げられるかもしれません。しかし、私たちが決して忘れてはならないことは、恵み深い神を知るところから、豊かな恵みや祝福を受けることが始まるということです。

 

 神の山ホレブにおいて、柴が燃え尽きない不思議な光景を見届けようと、モーセが近づいてくるのを神はご覧になっていました。しかしそれだけではなく、神はモーセの人生そのものを見ておられたのです。私たちの信じている神は、私たち人間が生まれてから現在に至るまでの、すべての人生を見ておられるのです。

 

 そのようにして、私たち一人ひとりに深く関わってくださる神は、聖なる神であり、契約を結ぶ神です。その神は私たちへの約束を果たそうと行動します。そして、私たちをご自分と共に行動させるために、私たちを召し、「今行け」と言って、ある目的のために遣わします。

 

 このときモーセも、神からイスラエル民族の解放者としての召しを受けました。それはまさにモーセの人生の方向転換の瞬間です。このときモーセは80歳、希望や夢を失いかけ始めた人生の終盤にいました。ある意味、神はご自分が持っていた「イスラエルの民をエジプトから解放し、約束の地に導く」という夢を、一緒に描かないかとモーセを召したのです。その神は私たち一人ひとりの人生にも降ってくださり、共に夢を描くために召しを与え、派遣してくださるお方です。

 

 神はモーセにご自分の名前を「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」であると教えました。ちょうどそのように、神は私たち一人ひとりの名を呼んで、一人ひとりと向き合って、一人ひとりの神となってくださるのです。私たちに豊かな恵みを与えようと、ご自分の全存在を持って神となってくださるこの方を、再発見させていただくことを願いましょう。

宮本幸男

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