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説教要約23/2/5「実を結ばない地に種を蒔く」

「実を結ばない地に種を蒔く」

ルカ8:4~15

 

 香櫨園教会では10月から地域サロンを始めたとお聞きしています。地域に教会を開くことは、それがどんなふうに実を結ぶのか、忍耐して構えないと見えてきにくいかもしれません。「そこから何人礼拝に繋がるようになったか」気を急いて数え始めると、意味が見出しにくくなる時があります。

 

 私たちは自分のすることが無駄になってほしくありません。しかし実際、そうはいかない日々を多く繰り返す中で、少しずつ、無駄になりそうなことを止めてきたかもしれません。悩みや困難を抱える人からの相談にうまく対処できなくて、「どうせ余計なお世話になるからもう辞めよう」と思い、落ち込む友人を教会に連れて行っても逆に疎外感を与えてしまった経験から、教会に誘うことをしなくなり、多くの教会が「地域に開かれること」や「社会の問題を信仰に関わることとして考えること」に消極的になりました。意味があるのか分からないことを続けるよりも、効率よくしようと考えるのは自然なことです。

 

 ところが、えらくコストパフォーマンスの悪い仕事をする人が、イエスのたとえ話に出てきます。彼はある日、驚くような種蒔きをします。ある種は道端に、ある種は石地に、ある種は茨の中に落ちました。この人は種を蒔くのが仕事です。収穫を期待する農夫であれば、そもそもこんなやり方するでしょうか?

 

 この人は常軌を逸しています。この人はその土地がいい土地か悪い土地かで判断せず、どこにでも種を蒔いてしまいます。しかしこのような方によって、私たちは今、教会の礼拝に来ているのではないでしょうか。私たちはある時は道端に、ある時は石地に、ある時は茨の土地になる自分を知っています。一方で、御言葉が自分の中で見えない間に根を張り、芽を出し、いつの間にか実を結ぶ経験もまた、私たちはしているはずです。なぜそんな事が起こったかと言えば、種が蒔かれ続けたからです。私たちが頑なな時も、信頼の根が張らない時も、多くの悩み事に覆われる時も、種を蒔き続ける方がいました。

 

 だから私たち自身も、種蒔く人となります。皆さんは地域に向けて、コロナ下という難しい状況にあって教会を開き続けています。それが意味をなすのか見えにくくても、意に介さず種を蒔きます。そのような種蒔きによって、今の自分達があるのを知るからです。どうか、私たちに種を蒔き続けてくださる方と共に、皆さんの種まきが続けられ、豊かに実を結びますように。

柳本和良

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