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説教要約23/3/26「誰もが持つ、神からの預かりもの」

哀歌1:7~14

ルカ20:9~19

 「誰もが持つ、神からの預かりもの」

 

 このぶどう園の主人と農夫のたとえ話によって、イエスは律法学者や祭司長といったユダヤの宗教指導者たちを非難しました。この世界の救いの為に、神がまずお選びになったのがユダヤ民族です。その神のものとして預かったユダヤ民族を、宗教指導者たちは我がものとして好き勝手に支配していました。それをイエスは非難したのです。

 

 しかし、宗教指導者たちは、まさか自分たちの考えや行為が、神に背くような生き方だとは思ってもみませんでした。彼らは自分たちが正しいことをしていると固く信じていたのです。だからこの時、自分たちを非難するイエスの言葉に耳を傾けず、憎んだあげくに十字架につけて殺してしまうのです。

 

 けれども、このイエスの言葉は、当時の律法学者やファリサイ派の人々だけに向けられた言葉ではありません。これは私たちにも向けられている神の御言葉でもあるのです。私たちは一人ひとりこの世界に生きていて、それぞれが神からお預かりしているものを使って生きています。それは自分の才能であったり、財産であったり、その他さまざまな賜物です。しかし私たちもまた、このユダヤの宗教指導者たちと同じように、自分が神からお預かりしていることに気づかず、我がもののようにして生きてしまっていることがあります。

 

 このたとえ話の中のぶどう園の主人は、農夫に1年に1度だけ使者を遣わしました。しかし、それ以外はまるで遠くにいるようにして農夫たちに任せていました。神は私たちもまた同じようにして、賜物を与えて任せています。神は私たちを信頼して、私たちの自由に任せてくださっているのです。

それほどまでに愛してくださる神に感謝しましょう。

 そうであるならば、自分に与えられている賜物を、神のものとして、神の願いに沿った使い方をさせていただきましょう。それこそが一人ひとりに神から託されている使命なのですから。

宮本幸男

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