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説教要約23/7/2「絶望から立ち上がり、歩き始める」

「絶望から立ち上がり、歩き始める」

イザヤ35:5~10

使徒3:1~10

 

 ペトロとヨハネが神殿に上って行った時、「生まれながらに足の不自由な男」が、神殿の門のそばに運ばれて来ました。その男は生まれてから40年間歩いたこともなく、神殿に参りに来る人々に施しを乞うて生きていたのです。そして、ペトロとヨハネが近くを通りがかると、男はいつものように二人に施しを乞いました。

 

 当時、この男のように病気や障がいを抱えて、物乞いをするしかない人のことを、多くの人々は、「神に呪われている人」と忌み嫌っていました。そう言われ続けて、この男も自分の人生に絶望していたことでしょう。しかし、ペトロはこの男を見て、「この人も神から愛されている人」とみなしました。そしてペトロが、「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と命じることによって奇蹟が起きます。男は癒されて、躍り上がって立ち、歩き出したのです。

 

 これまでこの男は、人として愛されることがなかったのかもしれません。「人生の問題は、お金でしか解決できない」と思っていたことでしょう。しかし、ペトロはお金を持っていませんでした。けれども、イエスからいただいた愛は持っていたのです。そして、その愛を分かち合う時に奇蹟が起きました。

 

 今のこの時代において、私たちはペトロたちのようにして、人の病気や障がいを癒すことはできないかもしれません。また、「立ち上がり、歩きなさい」という言い方をすることも難しいことです。しかし、ペトロたちと同じように、イエスの愛をいただいている私たちは、いくらでもイエスの愛によって人を愛し、人に寄り添うことはできます。

 

 どんな絶望の中にいる人であっても、イエスの愛の力によって立ち上がれます。たとえ病気や障がいは癒されなくても、もっと大切なその人の魂は癒されます。そして、自分自身の人生を引き受けて、確かな足で歩き始めることができるのです。それこそが、今の私たちが生かされている時代に与えられている奇蹟なのではないでしょうか。

宮本幸男

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