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「神棚を拝んだって…」

神棚を拝んだって…

 

 古希を前にした大腸がん末期の男性である。職業は高校で化学を教えてきたとのことだった。5年前に手術を受け、その後抗がん剤を続けてきたが、がんを抑え込むことはできなかった。

 

 ホスピスでの初日、第一声は、「医者には、もう治療法はないと言われた。治らないなら生きていても意味がない。こんなに痛んでいたら苦しいだけで生きていても仕方ない。早く楽になりたい」と、いかにも苦しそうだった。それから、化学の先生をしていただけあって、がんとの闘いの経過を薬の名前一つ一つ挙げて細かく説明してくれた。理屈っぽい人だなという印象だった。

 

となりでは、奥さんが涙をこぼしてその言葉を聞いていた。その姿を見て、「妻は、神棚にお供えをして拝んでいる。私はそんなことをしてもなんにもならないから止めろと言っている。私は神とか仏は信じていない」と奥さんにもあたりちらしているようだった。

 

「いやいや、信じることは大切ですよ。世の中、理屈だけで公式通りに行く訳ではないです」

「先生は、クリスチャンですか」

「そうですけど、わかりますか」

「私はなにかわからないものを信じるなんてことはできない」

「そやけど、人間ってなにかを信じてないと生きていかれへんと思います。もし、痛みが取れたら、また生きていこうと思っていますか」

「今は、死んでいく時には自分はどうなっていくのか、もっと苦しむのかと、そんなことばかり思っています」

「大丈夫です、みんな楽に死んでいかれます」

「なんでそんなことがわかる?」

「ホスピスで最期を迎える人は誰も苦しまないで死んでいかはります」

「ほんまかな」

「まずは痛みが取れるように治療していきましょう。痛みがもうちょっと落ち着いてきたら、また信じることについて話し合いましょう」

「先生にこんなつまらんことまで話してしもうて。時間をとらせて申し訳無いです」

「私は人間同士の話しは好きですから、遠慮せずに、思うことがあれば何でも言うてください」

 「先生とこんなふうに話しができたらとても気が楽になる」

 

 それから5日後、痛みも納得できるほどには改善しないうちに、突然高熱を出した。状態は一気に悪化した。それから1週間、奥様と初産を控えた娘さんに看取られて眠るように旅立った。まだ見ぬ初孫に何かを託すかのように。

信じることについての話はとうとうできなかった。だが、語気は柔らかになり、しみじみと自らの人生を振り返って、今の自分にも折り合いをつけたようだ。

主治医がクリスチャンと知ったことで安心していろんな思いを口にできたようだ。自分では信じないといいながら、見えざる御手を求めていたのか。信の世界は不思議で、人生をまろやかに変える力を持っている。

細井 順

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