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説教要約23/8/13「力ではなく愛による権威」

「力ではなく愛による権威」 

申命記8:1~10

使徒4:1~11

 

 使徒ペトロとヨハネはエルサレムの神殿域において、生まれつき歩くことのできない人を歩かせる奇蹟を起こしました。それに驚いて集まった民衆に、二人は十字架で死んだイエスが復活したことを宣べ伝えていました。ユダヤの宗教指導者たちは、自分たちが権威を持って十字架刑に処したイエスを、生きているように宣べ伝えていることにいらだち、この世の「力による権威」によって二人を牢に入れます。

 

 翌日、二人はユダヤの最高法院の裁判の場で尋問されたとき、自分たちが「イエス・キリストの名と権威」によって行動したことを証言します。かつて二人はイエスを裏切り、見捨てましたが、復活のイエスによって許され、愛されて、使徒として再び立たせていただいた経験をしました。その愛に心が震え、神殿域のおける絶対的な権威を無視してまでも、復活のイエスを宣べ伝えずにはいられなくなっていたのです。

 そのようにこの世の権威は、力によって人を抑えつけ、従わせるような権威です。しかし、イエスによって現わされた権威は、愛によって心を動かせ、自ら喜んで従わずにはいられなくなる「愛による権威」なのです。

 

 イエス・キリストの愛によって救われた者は、イエスの愛による権威の下に行動することに憧れます。しかし、それとは反対に、力によって支配しようとする規則やルールに従って生きてしまう罪の性質を依然として持っていることに苦しんでしまいます。

 教会はイエスの愛による権威の下にイエスを信じる者が互いに愛し合う交わりです。そして、聖書はそのイエスのことを「隅の親石」と呼んでいます。そもそも「隅の親石」とは、建築の最後をしめくくるために、なくてはならない大切な石のことです。すなわち、イエス・キリストは、教会という愛の交わりが造り上げられていくときに、共にいてくださり、聖霊の働きを通して、愛の交わりを完成させる大切な石となってくださるのです。

 

 私たちは自分の信仰生活の中で行動に迷ったとき、自分が何の権威で行動しようとしているか考え、その愛の石が自分の中にあるかどうかを確認することが大切です。それは私たちが罪の性質から解放されて喜ぶためです。さらには、私たち一人ひとりも、愛の交わりを造り上げる大切な石として用いられ、愛による権威の下に生きる喜びに満たされるためなのです。

 宮本幸男

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