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説教要約23/8/27「聖霊により揺れ動く教会」

「聖霊により揺れ動く教会」

イザヤ64:1~4

使徒言行録4:23~31

 

 使徒ペトロとヨハネは、イエスの名によって救いを語ったことを責められ、ユダヤの最高法院の議会の席で尋問されました。しかし、判事である議員たちは、民衆の支持を受けている二人を罪に定めることができませんでした。それで二人は「イエスの名によって2度と語るな」と脅されただけで釈放されます。

 二人は釈放されると「仲間」のところへ行き、祭司長たちや長老たちの言ったことを残らず話しました。それを聞いて、二人の無事を祈っていた人々は、心を一つにして、神に向かって声をあげて祈ります。しかし、その祈りは、よくある感謝の祈りなどではありませんでした。感謝だけではおさまらない、神を全面的に信頼する「信仰の告白」の祈りがささげられたのです。

 

 私たちは自分の人生の中で、もしも歓迎できない出来事が起こるならば、それを簡単に受け入れることなどできないでしょう。けれども、エルサレム教会の人々は、それを「神のご計画の内にある出来事」と信じることによって、自分の人生になくてはならない、必要な出来事に変えていったのです。

 私たち一人ひとりをお造りになった神はとことん良いお方です。ですから、私たちはたとえ人生に理解できないことが起ころうとも、ただそれを「神の愛」と信じれば良いのです。このお方が自分のために立てたご計画があり、神の許し無しに、何もこの世界には起こらないことを心から信じるのです。そうすれば、どんなことが起ころうとも、安心してすべてを神にゆだねられます。

 

 そのような信仰によって、さらに私たちは豊かな祝福を受けていきます。私たちが祈る信仰告白の祈りに、必ず神は応答され、魂に「喜び」と「感動」と「確信」を与えてくださるのです。

この時も、彼らの祈りが終わると、その祈りに神は応答してくださいました。「一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。」というのです。私たちも神を信頼するときに得られる「聖霊の満たし」があります。それによって、大いに魂が揺り動かされる体験をさせていただきましょう。

宮本幸男

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