· 

説教要約23/10/22「天使のような顔とは」

「天使のような顔とは」

エゼキエル1:1~14

使徒言行録6:8~15

  

 ある会堂に属するユダヤ人たちは、ステファノに論争を仕掛けました。しかし、彼が「知恵と“霊”」とによって語る言葉に、誰も対抗することができませんでした。だから、彼らは腹を立てて、民衆、長老たち、律法学者たちをそそのかし、偽証人まで立てて、ステファノを最高法院の裁判で有罪にしようとしたのです。

 

 それに対して、ステファノは裁判の席で弁明をします。しかし、さらに彼らの怒りを買い、石打の刑にあって殉教していくことになります。そのすぐ後、エルサレム教会に大きな迫害がやって来て、教会は弱体化していきました。しかし、この試練が教会にとって、祝福された「岐路」となりました。実はその後、エルサレムから避難した人々によって、教会は世界に向けて大発展をしていくのです。

 

 私たちの人生にも試練があり、それによって思ってもみなかった「岐路」に直面することがあります。年を重ねれば、健康や能力など、かつて持っていたものが失われる時がやってきます。今まで当たり前だと思っていたことが、取り去られ、破壊され、時には自分のプライドが傷つけられたりすることもあるのです。

 

 けれども、そのような状況に直面した時に、試練が神を信頼する心と結びつくと、大きな祝福が生み出されることがあります。大切なことは、歓迎できない試練によって起こる「岐路」をどう理解するかです。豊かな人生を歩み続けるためには、自分の人生の変革を信仰と結びつけて、試練を前向きに受け止める必要があるのです。

 

 ところで、ステファノが裁判にかけられた時、その席のまわりの人たちには、「その顔はさながら天使のような顔に見えた」ことが聖書に書かれています。神から遣わされて、そのメッセージを語るのが天使です。つまり、ここで聖書が「天使」と語っているのは、試練の中にいても、「自分は神から遣わされている」という確信をいただいて、安心して、神にすべてをゆだねている者の姿なのです。私たちも次々と起こる試練を信仰と結びつけ、「さながら天使のような顔」で生きることにより、豊かな祝福をいただいていこうではありませんか。

宮本幸男

HOME