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「せめて平均寿命までは生きたい」

 大腸がんで人工肛門をつけた80歳男性Aさんである。人工肛門のまわりにしこりができて、細胞を検査したところ、がんの再発とわかった。外科医に相談すると、放射線治療を勧められた。だが、放射線治療ではがんを完全に取り除くことはできないと説明された。

 

 外科医に「手術して完全に取り除くことはできないのか」と食い下がった。Aさんの身体状況は芳しいものではなく、「手術ができないことはないがリスクが高い」と説明された。Aさんは「一か八かでもいいから手術をしてもらいたい」と伝えた。外科医も、「それならば……」と手術も考えてくれそうな様子らしかった。手術を渋っていることに納得がいかないようで、語気が荒かった。がんの広がりを考えると、手術してもいい結果はあまり期待できない状態ではあった。

 

 Aさんは我々のホスピスに4ヶ月ほど前から通院し、この日が三回目の診察だった。がんの末期と診断されてはいたが、痛みはなく、食事にも問題はなかった。

 腹部の診察を終えて、Aさんと話した。

「そうですね、診察させてもらっても、人工肛門から便はよく出ているし、お腹も膨らんでいるわけではないし、腸の音も問題なし。ご飯も食べることができるし、Aさんにしたら、手術してがんのしこりだけ取ってもらったらそれでいいと思ってしまいますね。ところで、Aさんはこれから先、何か目標はありますか。これだけは成し遂げたいというようなことはありますか。お孫さんの結婚式とか、ひ孫の顔を見たいとか」

 付き添ってきた奥様から、「そら、無理やわ。孫はまだ七つやし」と横やりが入った。

「そうやねえ、もう体も動かんようになってきたし、これといって目標はないわ。せめて、平均寿命までは生きたいわ」

 「平均寿命って、もうすぐですやん。あと1年か2年でっしゃろ。それなら、リスクの高い手術をしなくてもいけますよ。あと20年生きて、ひ孫を見ることが目標なら、一か八か手術する価値もあるかと思いますけどね。今はご飯を食べて調子がいいけれど、手術でがんが取り除けたとしても、腸も部分的に切り取るので、今と同じように食べることは難しいかもしれません。食べないと生きていけないしね。今が調子よく食べられるなら、何もしないことも一つの方法です」

 「うちの家系は、親父も叔父も大腸がんで早くに亡くなっている。そう思ったら、80歳まで生きて、食べることができるので、これでいいのかもしれんな」

 

 Aさんの語気は柔らかくなり、噛みしめるように話した。手術したいというAさんの気持ちをまず受け止めたことで、冷静さをとりもどしたようだ。がん再発はショックだろう。残された時間をがんと同居することで、死への準備ができる。そんな余裕を持ちたい。自分が生きる根拠はどこにあるのかを考えてみたい。「元気に笑ってここにまた来るわ」と言い残して診察室を後にした。

 さて、どのような決断をするのだろう。どんな決断でもホスピスではAさんに最後までつきあうつもりだ。

細井 順

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