「どんな教会を目指しますか」
イザヤ66:1~14
使徒言行録7:44~53
イスラエルの歴史の中で幕屋や神殿が造られました。その中には石の板に刻まれた「十戒」が契約の箱に納められ、神の臨在の象徴となりました。イスラエルの人々は、契約の箱が安置してある幕屋や神殿に、神が住んでおられると信じていたのです。
その幕屋や神殿は人間の知恵で造られたものではありませんでした。モーセは幕屋を造るときに、その設計図を神に聞いて進めることができました。またダビデも、神から示された設計図を息子のソロモンに伝えました。つまり神に示された型通りに幕屋も神殿も造られたのです。
ここでステファノは預言者イザヤの言葉を引用して、聖書に書かれている神が、「建物に閉じ込められる方ではない」ことを語ります。そうだとしても、幕屋や神殿が造られたことは、神の御計画のある時代において、人が神に近づくために必要でした。つまり、幕屋や神殿を建てて、そこでいけにえをほふり、いけにえの血を流し、罪が覆われるという恵みをイスラエルの民はいただいていたのです。それがイエス・キリストが来られる前の「律法の時代」というものでした。
けれども、キリストがご自分の血潮を流してくださったので、私たちはキリストを通して神のもとに近づける「恵みの時代」に生きれるようになりました。今や、私たちはモーセの律法ではなく、キリストの愛の律法によって神の恵みを受ける者となっています。その恵みの時代においては、私たちが互いに愛し合うところに、神が共にいてくださることを信じることができるのです。
牧師 : 宮本幸男