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説教要約2024/3/17「神の恵みの選び」

旧約 詩編23:1-6

新約 エフェソ書1:3-9

説教「神の恵みの選び」

 

 詩編23編の少し前に、「わたしは虫けら、とても人とはいえない」というダビデの嘆きの詩があります。大学に入学する以前の私は病気で、床に臥せっていました。そんな私を神は教会に仕えるようにと導き兵庫の地へとやってきました。当時の私には、牧師に必要な能力は何もないどころか、一般に生きていくための健康すらもっていませんでした。ダビデがいうように、自分のことを死を待つだけの虫けらのように思っていました。ただ聖書を1頁めくると次のように語りかけてくるのです。

 

 詩編23:1「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」

 何もない私に、打ちひしがれる私のことを主は羊飼いとして導いて下さると言います。神様は、私を休ませ、魂を生き返らせ、正しい道へと導いて下さる。私の能力がどうだとか、健康がどうだとかを神様は気にしません。それどころか、神様は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださり、力をも与えてくださいます。

 

 神様は何故私たち助けてくれるのか。聖書によると、神は天地創造の前から、私たちを愛して、キリストにおいてお選びになったからだと言います。キリスト教の教義では、予定論、あるいは、神の恵みの選びと呼ばれるものになります。神は私たちを愛して選んでくださった。そこに能力などは全く関係ない。健康でなくても、能力がなくても、神は私たちを神の子にしようと選んでくださった。どんな者でも、誰でも、神はその身を用いて下さるのです。

 

 私たちは神様によって選ばれ、教会へと導かれました。神様はただ愛によって私たちを選び導いています。年齢や性別、健康や能力で神様は判断しません。何でもない一人一人に聖霊を与え、私たちを用いてくださいます。そしてこの聖霊によって私たちは御国を受け継ぐ保証でもあります。

 

 私達を選んでくださった、イエス・キリストはこれから十字架の道へと向かって行きます。私たちをその血によって贖い、罪を赦してくださった十字架の出来事は来週に迫っています。この血に贖われた私たちは神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。

 神学生 : 坂本子龍

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