「主こそ神であり、ほかに神はいない」
申命記4:32~40
本日の御言葉を御覧下さい。小見出しに「モーセの勧告」とあります。申命記は御存じの通り、「デバリーム」(言葉)と言われます。これは勿論、申命記冒頭の言葉ですが、この「言葉」は新約聖書で語られる「神の言葉」(ロゴス)であり、「語られた言葉」(レーマ)を表しています。
モーセは死を迎える直前の日にモアブの地で律法を遺言として語りました。「申命記」がギリシャ語で「デウテロノミオン」(第二の律法)と言われる所以です。
しかし、このことは単に律法の「反復」(デューテロス)を意味してはいません。これは「律法の写し」ではなく、「霊的遺産の継承」です。申命記の中心的な使信は「神の真実」です。モーセは神から約束の地カナンに入ることはできないことを告げられ、はるか遠くカナンを仰ぎ見ながら、新しい世代に「信仰継承」の希望を与えようとしています。
神の真実により、エジプトから導き出されたイスラエルの人々。アブラハム契約を神は守り、イスラエルの人々の叫びに応え、出エジプトをなさせ、選ばれた民として、約束の地に向かわせました。荒野の40年です。神はシナイ契約を締結され、民が不平、不満、不信仰に陥ろうと、常に民を守り続け、導き続けました。
この姿は、私共キリスト者の姿、私共の教会の姿と重なります。神は私共が如何なる者であろうとも、神は変わらず「真実な御方」です。(二テモテ2:13)「わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。」共に神に感謝を捧げましょう。私共の教会の歩みの過去、現在、未来に神がおられ、「三位一体の唯一の神」として常に慈しみ、愛し続けて下さっているのです。
主イエスが引用された申命記の言葉。律法で最も大切ことは何かと問う問いに主は(申命記6:4-5)「聞け」で答えられました。この句にある「唯一」は(エハード)で、「複合的単一性」(ひと房など)を表し、「三位一体の神」を語る言葉です。主は「神を愛しなさい」と言われました。モーセ五書の中で申命記にのみ「愛する」(アーハブ)が出て来ます。「無条件の愛」のことです。私共は私共を愛し続ける神を愛し続けます。この真実が信仰継承です。
(礼拝交流)尼崎竹谷教会 牧師 : 西川専一