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説教要約2024/9/1「道を逆走して分かること」

「道を逆走して分かること」

箴言3:1~12

使徒言行録11:19~26

 

 教会に対する最初の大迫害が起こった時、特に海外出身のギリシア語を話すユダヤ人信者たちが標的にされていきました。そのため彼らはエルサレムを脱出して遠い外国の町々に逃げ延びました。そして、彼らはその町のユダヤ人たちと交流する中でイエス・キリストの福音を語っていきます。

 

 しかし、アンティオキアではユダヤ人だけでなく、異邦人にも福音を告げ知らせる行動に出る人々がいました。そこに聖霊なる神の力が働き、キリストを救い主と信じて神に立ち帰る人がたくさん生まれていきました。ある意味、その人たちは新しく出会った神の愛と恵みを全面的に信じて、今まで来た道をリスクも恐れず逆走し始めた人たちでした。

 

 ユダヤ人だけでなく、多くの異邦人が教会に加えられている知らせがエルサレムに伝えられると、エルサレム教会はすぐにバルナバをアンティオキアに派遣しました。そして、彼の励ましによってさらに大勢の人々が教会に導かれ、アンティオキア教会はユダヤ人信者と異邦人信者が混在する教会に大きく成長していきます。さらに、そこにバルナバによってユダヤ人伝道と異邦人伝道を行うのに最適なサウロが連れて来られました。

 

 このサウロも、かつてユダヤ教のエリートとして走っていた道を逆走した人物です。サウロは復活のイエス・キリストと出会い、イエスに従うために献身し、多くのものを失いながら伝道を続けていました。彼はキリストを知ることによって、誇りとしていたものを全て取り去られていったのです。けれども、彼はもっと素晴らしい恵みの数々を発見し、喜びに満ち溢れる人生を歩んでいました。

 

 イエスに従う時に犠牲のない献身などありません。しかし、どんなに価値あるものを失ったとしても、それ以上の恵みが与えられていくというのも真理なのです。サウロは人生の道を逆走する中で、それまでの人生の道と全く違う感動的な風景を見ていたことでしょう。私たちも常に神の愛を感じる方向に向かって走りながら、神が与えてくださる恵みの風景をしっかりと見ていくことを願い続けましょう。

牧師 : 宮本幸男

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