
「命を支えるオアシス」
イザヤ12:1~6
ヨハネによる福音書7:37~39
バビロン捕囚という民族的悲劇によって、南ユダ王国の人々は捕虜となり、遠くバビロニアの地に強制移住をさせられます。絶望に打ちひしがれる南ユダの人々に、預言書イザヤは「あなたたちは喜びのうちに、救いの泉から水を汲む」と語り、神の愛を信頼し、帰還する希望を失わないように励まします。やがて、彼らはペルシア帝国によって解放され、故郷に帰ることを許されます。そして、約束された救いの水は、彼らの身体の渇きだけではなく、心の渇きも喜びで潤していきました。
イエスはサマリアの女と関わる中で、民族的記憶の残るこの「水」を、救いのたとえとして用いられました。サマリアの女はイエスから、救いの水である「神の愛」を与えられることによって救われていきます。その愛はどのような人であっても「ありのまま」に受け入れてくださる愛でした。
私たちも日常を生きていく中で、心に渇きが引き起こされることがあります。また、心が満たされない時に不安や悲しみを感じることもあります。その不安を安心に、悲しみを喜びに変えようと、今もイエスは「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」と招かれているのです。そこには、一人ひとりの「ありのまま」を受け入れて、救いの喜びを与える愛があります。
香櫨園教会は設立62周年を迎えます。その中で信仰生活を送られた方々は、イエス・キリストに招かれ、愛されて、香櫨園教会という「命を支えるオアシス」に救いを見出してこられました。実に、イエス・キリストの深い愛の泉から、渇くことのない救いの水を汲み、魂を癒されていく恵みに与かってこられたのです。
私たちも同じようにして、神の尽きることのない泉から救いの水を汲みましょう。さらに、周りの渇いた人々に救いの水を与え続けるオアシスとして、これからも地域に開かれた教会であり続けたいと思います。
牧師 : 宮本幸男