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「大自然の中で神に出会う 」

 登山と渓流釣りは、私の人生の大切な構成要素です。趣味というのとは違います。大自然の中に身を置いている時間は、私にとって神と向き合っている時間のように思えるのです。実際に向き合う相手は、動物であり、植物であり、土や砂や岩石であり、風であり、雲であり、雨や雪であり、太陽や星であり、すなわち森羅万象です。そんなものと向き合いながら大自然の中をさまよっていると、危ない、苦しい、辛い、悲しい、でも、面白い、楽しい、幸福な出来事に出会います。そんな出会いのいくつかを綴ってみます。

 

 積雪期の北アルプス、大天井(おてんしょ)岳でのこと。下山中に真っ白な雪原で道を見失っていました。その時、私の前を歩いていた一羽の雷鳥君が急に飛び立ちました。雷鳥はめったに羽ばたきません。変だなと思い、立ち止まって地図とコンパスで自分の位置を確認しました。やっぱり自分の経路はおかしいと気づき、少し引き返して何とか正しい登山道に戻ることができました。雷鳥が羽ばたいたのは、差の先の道が切れ落ちていたからなのです。雷鳥が私の命を救ってくれました。

 

 晩夏の南アルプス、農鳥(のうとり)岳山頂に向かうルートでのこと。かなりきつい登りを終えて、ザックを枕に這松(はいまつ)の側に横たわり、顔に帽子をかぶせて休憩していました。しばらくして、おの上に重みを感じました。帽子をずらして見ると、一羽の雷鳥君が僕のお腹の上で周りを見回しています。びっくりさせたくないので、じっとしていました。雷鳥君は僕と目が合っても平然としています。そして、歩き出したのです。すると、何とその後から雷鳥の子どもたち私のお腹の上を渡っていきます。まさに至福の時間です。その時、自分はいま自然と一体化していると感じました。

 

 夏の北アルプス、白馬(しろうま)岳(本当は白馬ではなく代馬が正しいのです)でのこと。既に廃道になっている(山に慣れていない人は避けた方がよい)下山ルートを下りました。道はかなり荒れていて、途中でビバーク(簡易テントで一泊)せざるをえなくなりました。その翌朝のことです。私は小さな渓流の低い堰堤(えんてい)の少し上で目を覚ましました。眠い目をこすりながら堰堤の下に目をやると、ツキノワグマの親子が水を飲んでいます。子熊の可愛さに思わず笑みがこぼれました。カメラを出そうとした時、スチール製のマグカップが音を立てて転げました。母さん熊は一目散に樹林の斜面を駆け上がります。残された子熊はあっけにとられ、右往左往しています。その仕草の可愛さといったらありません。びっくりさせてごめんね、と私はつぶやいていました。結局、母さん熊が戻ってきて、子熊たちを連れて樹林に姿を消しました。熊さんたちへの恐怖感など全く感じませんでした。つまるところ、生き物はみんな友だちですから。

 

 大自然は、私に色々なことを教えてくれます。色々な試練を与えてくれます。そして、私という不完全な存在を至福の時空へと導いてくれます。大自然の中での森羅万象との出会い、それは私にとって神との出会いにほかならないのです。神の創造した世界に生きる私たちは、色々なところで遍在する神に出会っているのだと思います。

髙橋 介

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