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説教要約2025/6/29「後に続く仲間の未来を考えて」

「後に続く仲間の未来を考えて」

ハガイ書2:10~18、

使徒言行録16:35~40

 

 パウロとシラスは、フィリピの高官たちによって、裁判も受けずに投獄されてしまいます。

翌朝彼らは、派遣された下役たちから釈放すると聞いても、そのまま従うことはありませんでした。自分がローマ市民であるのにも関わらず、不当に扱われたことについて執拗に抗議をしていきます。そして、パウロはローマの市民権に元づく権利を主張して、公の謝罪と高官のエスコートによる出所を要求し、それが実現されました。

 

 パウロの抗議は、個人的な復讐心から出たことではなかったことでしょう。彼の心にあったのは、生まれたばかりの教会の仲間たちでした。ローマ市民によって立てられた正当な教会であることを人々に印象付け、フィリピの教会を守ろうと、パウロはあえて派手なパフォーマンスをしたのだと思います。

 

 思えば主イエスがそうでした。主イエスも後に遺される弟子たちのことを第一に考えていました。パウロも聖霊の導きによって、同じ気持ちに導かれていったのでしょう。パウロは、自分がフィリピを去っていった後の、これからも続くフィリピの教会のことを第一に考えさせられたのです。

 そして、釈放される二人に、看守は「安心して行きなさい」と言いました。看守は、神に成り代って言っているようにも聞こえます。神が、平安の内に二人を次の町に送り出そうとしているのです。イエスもたびたびご自分が癒した人々に「安心して行きなさい」と言って、彼らを新しい人生に送り出していきました。

 

 いずれ私たちもこの世を去って、特別な市民権を与えられている天の御国に行かせていただきます。実に天国は「愛する人との再会の権利」と「すべてのものから愛される権利」が、完全に保証されている世界です。この世のしがらみから完全に解放されて、そこに行く私たちは、イエスから「安心して行きなさい」と送り出されていくことでしょう。

 その時、私たちも後の教会を引き継ぐ人たちの未来を祈りつつ、彼らに必要な何かを残して旅立って行くのです。

牧師 : 宮本幸男

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