
「最後に残るものは神の知恵」
列王記上11:1~13
使徒言行録17:16~21
パウロの時代には、人間の知恵で作られた神々を真剣に拝むという偶像礼拝が栄えていました。アテネを訪れたパウロは、どこを向いても偶像だらけという状態を見て憤り、人々の集まる広場で福音伝道を始めます。
アテネの哲学者たちもパウロと討論しましたが、パウロの語るキリストの福音を全く理解できなかったようです。最先端の文明の中で、複雑に構築された人間の知恵を持つ人々には、すべての人を救おうとする単純な福音が理解できなかったのです。そこで、彼らはパウロをアレオパゴスという評議会に連れて行きました。しかし、そこに集まる人たちによってパウロは論破され、あざ笑われる屈辱を味わいます。
けれども、今日のアテネの偶像たちは遺跡としての存在感しかありません。また、哲学者たちも消えていなくなりました。しかし、パウロが伝えようとした神の知恵である福音は、今も世界に広がり続け、私たちを救う力として働き続けています。
私たちは、そのような神の知恵の永続性を思うと励ましを受けます。しかし、励ましの中で安心する私たちも、いつの間にか、目には見えない偶像の神を自分の心の中に作ってしまいます。それどころか、自分自身が偶像の神になってしまうことさえあるのです。
だから、神の知恵に従って生きていこうとする私たちにとって大切なことは、まず自分の信仰が、神の方を向いているかどうかを吟味していくことなのかもしれません。なぜならば、その信仰の中でこそ、神の知恵の力は働き続けるからです。
牧師 : 宮本幸男