
「それぞれの人生を与える神」
列王記上8:27~36
使徒言行録17:22~34
アテネでの伝道において、パウロがまず心がけたのは、目の前にいる聴衆との接点を見出すことでした。彼らは異邦人なのですから、ユダヤの律法は接点になりません。また、多神教を信じる彼らに、唯一の神を教えることも接点にはなりません。そこでパウロは、彼らが信仰にあついことを誉めたうえで、彼らが祭っていた「知られざる神」や、古代ギリシアの詩人の言葉を引用することによって接点を作りつつ、聖書の福音の核心を語りました。
そのような努力にもかかわらず、パウロはあざ笑われ、体よくあしらわれました。しかし、期待したほどの収穫は得られませんでしたが、パウロについて行って信仰に入った者も何人かいました。この日本の地においても、福音の真理を聞いても聞き分ける人は多くありません。けれども、少数ながらも真理に目覚める人を、神は必ず用意しておられるのです。
それでは、真理に目覚めた人は、なぜイエス・キリストを救い主だと信じることができたのでしょうか。それは、自分の努力ではなく、自分がキリストを信じる前から、神が傍にいてくださるからです。神は真理を求める人の傍にいてくださり、その人が神を求め、神を発見することを願っておられます。だから神を真剣に求める人は必ず神を見出すのです。
神から受けることに必要以上の努力はいりません。特に、神が私たちに与えようとする信仰を受けるのに努力などいらないのです。そして、結局、私たち人生とは、神の恵みによって与えられた賜物をどのように使っていくかということです。与えられていないものを、無理して他の人と比較する必要などありません。自分に与えられた賜物を忠実にこの世界に生かしていくことこそが、私たち一人ひとりに与えられている人生なのです。
牧師 : 宮本幸男