
「あと一歩を教える」
イザヤ53:1~12
使徒言行録18:24~28
イエスの十字架の死、復活、昇天、聖霊降臨の出来事の中には、神の広く深い愛が込められています。それをアポロが理解していなかったとしたら、彼の語るメッセージは「悔い改めてイエスをメシアとして受け入れよ」という段階で留まっていたことでしょう。しかし、フリスキラとアキラ夫婦から教えられたイエスに関する知識によって、アポロは、神の深い愛を知り、相手を心から愛する思いで愛について語ることができるようになりました。
この後、アポロは伝道の場所をアカイア州に移しました。彼はここで、激しい語調でユダヤ人を説き伏せ、教会の人々を助けました。もしも、アポロが愛を語る伝道者に変えられていなければ、激しい語調で説き伏せられたコリントのユダヤ人たちは、たいそう腹が立ったことと思います。聖書の通りに正しく話しているからと言って、決して救い主はイエスであると信じようとはしなかったでしょう。むしろ反発を感じ、いよいよ教会を迫害しようとしたかも知れません。
けれども、この時、アポロは神の深い愛を語ることができる人になっていました。激しい語調で説き伏せられながらも、ユダヤ人たちは、アポロの言葉に神の愛と恵みを感じたのではないでしょうか。キリストの救い、神の愛というものは、理屈で説き伏せるものではないのです。
どんなに綺麗で美しい言葉を語っても、また正論を述べていたとしても、もし心の中に愛がなければ、心に響くことはありません。何かを伝え、相手の心を動かそうと思ったら、相手の状況を理解して、心から愛を込めて話すことが大切です。心に愛があれば、神の深い愛は、人から人へと、まるで染み込むように自然に伝わっていくものなのです。
牧師 : 宮本幸男