
「喜びに満たされるため」
ヨハネ15:11~17
試練が襲った時、悲劇にある時に私たちは苦しみ悲しみます。私たちは、そのような状況の中にいたとしても喜びに満たされていきます。なぜならば、私たちは、復活し、今も生きておられる主イエス・キリストに従順に従うことによって、喜びに満たされていくからです。
12節に「これがわたしの掟である。」、14節に「わたしの命じることを行うならば」、17節に「これがわたしの命令である。」と似たような言葉が並んでいます。これらの言葉は、ただ「掟を命じる」という意味だけではなく「使命をゆだねる」というような意味を持っています。イエスは、弟子である私たちに信頼を込めて使命をゆだねようとしておられるのです。
その使命一つは福音伝道でしょう。すなわち、私たちはイエス・キリストの福音を携えて世に出ていくときに喜びが与えられるのです。パウロは、「主にあって喜びなさい」という命令を、自ら実行していきました。たとえ、迫害に遭って牢獄の中に入れられようとも、獄中で祈り、神に向かって喜びの賛美をしていきました。その喜びは、看守とその家族、さらに他の囚人たちを主に導く伝道の力となり、さらに大きな喜びを生み出していきました。
福音を伝える人は、いかなる状況においても喜ぶことができます。私たちは、苦しい時、悲しい時に喜ぶことができるのです。だから、私たちは「互いに愛し合う」という主イエス・キリストの掟を世に伝えるため、たとえ迫害に遭おうとも、福音伝道をすることによって、喜びを得ていきたいと思います。
日本の伝道は難しいと言われています。しかし、自分自身が日常的に喜びに満たされていなければ、イエスの喜びについて語ることはできません。日本の伝道の為に、私たちは主イエス・キリストに従順に従う中で、喜びに満たされることを選んでいきましょう。
牧師 : 宮本幸男