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説教要約2025/9/7「自分が何者なのか知りましょう」

「自分が何者なのか知りましょう」

創世記3:1~19

使徒言行録19:11~20

 

 スケワの七人の息子たちは、ローマ各地を巡り歩いて病気の癒しや悪霊払いをする「祈祷師」でした。彼らはエフェソの町で、パウロの手を通して起こされる病気の癒しや悪霊払いの奇跡を見て、主イエスの御名に魔術的なものが宿っていると誤解しました。そして、主イエスの御名を呪文のように唱えて悪霊払いを試したのです。しかし、主イエスへの信仰を持っていないこと、愛の行為でないことを悪霊たちに見破られ、「いったいお前たちは何者だ」と言われて、逆にひどい目に遭わされました。

 

 私たちの内にも、このように打算的で、愛の欠けたところはないでしょうか。しかし、聖書はそのような私たちでさえも、神に赦され、愛され、認められている存在であると語っています。そのメッセージを信じて、神の愛を受け取るならば、私たちは本当の意味で「神に愛されている罪人」となっていくことができるのです。

 

 自分を醜いと知って悔い改めようとする人間は、神から見れば、もう決して醜くはないのです。「いったいお前たちは何者だ」という問いかけに対して、私たちは「自分は神に愛されている罪人だ」と悔い改めつつ答えましょう。そうすれば、私たちの心は自然と喜びと感謝に満たされます。そして、その喜びは私たちの言動にも現れてくることでしょう。

 

 クリスチャンになっても古いものを捨てられず、この世の価値観に生きてしまっていることがあります。けれどもある時に、神が私たちに喜びを与えてくださって、握りしめていたこの世の価値観が変わる「恵みの時」が誰にでもやってきます。そのような時にこそ、私たちは手放せなかったものを手放して、自分に与えられる本当の自由を得ていきましょう。

牧師 : 宮本幸男

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