
「老人は夢を見る」
ヨエル3:1~2
聖書は、私たちが年を重ねることは、祝福であり喜びであることを語っています。しかし、私たちは老いていくことに、ついついネガティブなイメージを持ってしまいます。自分の頼みとしていたものが、一つ一つ取り去れて行くと思える中で、将来に希望が持てなくなるのです。けれども、聖書は私たちに神の霊が注がれると、まだ見ることのできない新しい希望の世界の夢を見ることができると約束しています。
私たちは人生の中で、それぞれが神から賜物を与え続けられてここまで生きてきました。その賜物に支えられて、自分の人生をここまで歩んで来ることができたように思っています。しかし、その賜物を大切に思い過ぎて、「いつまでも自分の物として握りしめていたい」という気持ちに囚われているとも言えるのではないでしょうか。
けれども、神の霊が私たちに注がれる時に、自分を本当に生かしてくれているものは、もっと別なものだということに目が開かれていきます。そして、年を重ねた老年を生きる時に、これまで神から頂いた賜物をお返しすることが増えていく季節を生きていることを悟らされていくのです。
私たちは、自分が老いを迎える中で、「この先に自分には何が残るのだろう」というような不安や恐れを心に抱いてしまうことがあります。しかし、そのピンチの時は、神の霊によって最大のチャンスに変えられます。なぜならば、神の霊によって与えられる「自分は何があっても神に愛されている」という確信が、私たちに究極の安心を与えるからです。
神は私たちが人生で得てきたすべてのものを失ったとしても、「最後まで、あなたを背負う」と聖書の中で約束してくださっています。最後の1分1秒まで私たちを背負ってくださるのです。この1対1の関係だけが最後に残ります。年を重ねるということは、自分に何かできないだけに、さらに主なる神に対する信頼が強められます。それは、主が自分を背負ってくださる夢を見ることを、神の霊によって与えられる祝福の時でもあるのです。
牧師 : 宮本幸男