「生き返った青年」
列王記17:17~24
使徒言行録20:1~12
パウロは、各教会からの献金をエルサレムに届ける途中、自分の命が狙われているということを知ることになります。そして、彼は予定を変更する中で、トロアスを訪問し、不幸と思えるような出来事に遭遇してしまいました。しかし、パウロの信仰による対応によって、その出来事は祝福と変えられていきます。
夜中まで続いた満席の集会の中で、窓に腰をかけてパウロの話を聞いていた青年が、眠気を催して3階から転落して死んでしまいました。しかし、そこへパウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて「騒ぐな。まだ生きている。」と言うと青年は生き返りました。そして、その奇跡に遭遇した人々は、生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められました。
実は、預言者のエリアとエリシャも、この時のパウロと似たような方法で死んだ子どもを生き返らせたことが旧約聖書に記されています。パウロは、その御言葉を思い出し、信仰によって行動したのでしょう。
現代において、信仰があれば、このような奇跡が必ず起こるわけではありません。使徒言行録の時代には特別な意味があって、このような奇跡が起こったのだろうと思います。しかし、現代でも、挫折して死んだようになった青年の魂が、神の愛によって生き返るようなことは起こっています。それを身近に経験することができた人々は、慰められて喜んできたことでしょう。
当時の世界は、今と違って夜になると真っ暗な闇の世界でした。しかし、この一軒の家だけは、希望と命によって輝いていたことでしょう。これこそ私たちが目指すべき教会の姿ではないでしょうか。私たちも、絶望と死の恐れではなく、神の愛によって与えられる希望と命が支配している教会として輝き続けましょう。
牧師 : 宮本幸男