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「わが受けるべき杯」

「わが受けるべき杯」

 70代半ばの膵がんの女性Aさんである。夫と数軒の飲食店を切り盛りしてきた。クリスチャンとしての人生も歩んできたが、近くの教会ではなく、遠く離れたところの教会にオンラインで礼拝を守っていた。牧師と直接出会ったことはなかったが、この牧師には葬儀をお願いしているとのことだった。

 

 半年前に黄だんが出現して、精密検査をしたところ膵がんの末期だと診断された。早速、黄だんを取り除くために胆管に細い管を通してもらった。その後の抗がん剤治療を提案されたが、つらい治療よりは、ホスピスで楽に死にたいと考えて我々のホスピスに入院した。

「もう助からないと言われました。しんどい思いをして生きていたくはありません。早く殺して下さい。がんの末期の人はガリガリに痩せてみすぼらしくなるでしょ。私はそうはなりたくない。そうなる前に安楽死をお願いしたいです。もう、家にも帰りたくないです。近所の人たちから哀れな目でみられるのもイヤです。夫も娘もそれでいいと言ってくれます」

「ホスピスは安楽死をするところではありませんよ」

「そしたら何をしてくれるのですか」

「Aさんが人生を全うできるようにサポートします」

「私は末期がんなんですよ。からだもしんどいです。こんな私がこれから何をしろというのですか。元気なら夫や娘の面倒もみられるけれど、今では台所に立つこともできません。こんな体で、今更、飯炊き女はいやです。先生はまだ元気だから、気楽なことを言えるけれど、私と同じような目にあったら、そんな呑気なことは言えないはずです」

「Aさんは自分の人生に満足しているのですか。後悔していることはないのですか」

「そりゃ、後悔はいっぱいありますよ。でも、それは夫にも娘にも謝りました」

「これからの生きているあいだに、後悔していることを挽回したらいいじゃないかと思います」

「先生は、イエスをほんとに信じていますか。私は、お祈りはするけれど、キリストにまだ会ったことがないので、信じきれないわ」

 

 このような会話で始まった入院生活だった。その後、入院は三ヶ月近くになったが、少しの痛み止めで身の回りのことは自分で十分にできた。Aさんのためにも、入院を待っている他の患者さんのためにも一時退院することを勧めた。

 2週間後に連絡が入った。からだがだるいし、食事も入らない、痛みも前よりも強くなってきたとのことだった。診察すると、黄だんの症状が再び強くなっていた。診断された時に入れた管を交換すれば、黄だんも減り体の苦痛は緩和されることを伝えた。

Aさんは目を瞑って首を横にふり、拒否の反応だった。夫はまだ死んでほしいわけではなく、管を交換することに前向きであった。

Aさんに、「死なせろとか安楽死ということを何回も口にするけど、本当は死にたくないんやろ?」と問うてみたところ、おおきく頷いた。

「そうやんな。まだ生きられるし、生きなあかんわけや」

管の入れ替えのために病院を移ることになった。その朝、病室に出向くと、発熱があり、黄だんもさらに増悪して、やつれた表情だった。

「がんばって処置を受けて来て下さい。ここで待っているから」

と話しかけると、目を瞑って首を横に振った。

しばらく間をおいて、次のように語りかけた。「Aさんが早く死にたいと思っているかぎり、管の入れ替えは苦い杯かもしれない。さけることができるなら、さけたい。けれど、そうはいかないこともある。Aさんの思いではなくて主の御心のままにということなのかな。この杯は飲みたくないかもしれないけど、飲むべきものなんとちがうかな」

Aさんはまた同じように首を横に振った。

「かわいくないなあ。……(一段大きな声で)愛しているよ……イエス・キリストに代わって言うとくから」

Aさんはさらに激しく首を横に振るだけだった。キリストにゆだねたくてもゆだね切れず、もがいているようでもあった。当院にはチャプレン(病院付き牧師)がいるが、「私とは違う」と訪問を断わっていた。

 

 管を交換して無事にホスピスに戻ってきた。黄だんは軽くなっていた。熱は下がりだるさも改善されたようだが、その後も「死にたい」と繰り返した。夫は、以前にもまして足繁く面会に来るようになった。ある日、ポツリと「夫が愛おしく思えてきた」とつぶやいた。それから一月足らずで旅立った。

 その一言を夫婦の間で噛みしめることができたかどうかはわからないが、夫は悔しそうに肩を落としてホスピスを後にした。

 細井順

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