損をして得を取らせる霊の働き」
サムエル記上10:1~8
使徒言行録21:1~14
聖霊は私たち一人ひとりの心に常に働きかけています。しかし、その働きは理解しにくく、時には何か矛盾しているようにも見えます。ここにおいても聖霊は、それぞれの人に働いて、パウロのエルサレム行きを導いているようでもあり、反対に思いとどまらせようとしているようでもあります。聖霊は一つの霊のはずなのに、どうしてその働きが矛盾するように見えるのでしょうか。
それは神の性質が「愛」であることと関係があるかもしれません。実に、イエスのエルサレム行きを止めようとした弟子たちの動機は「愛」から来たものなのでしょう。しかし、愛にもいろいろな種類があって「人間的な愛」は聖霊の働きを邪魔してしまいます。けれども、「神の愛」によって行動しようとする時に、その結果は、どうしても「愛」の伴う聖霊の働きとして現れてしまうのです。
そして、かつてイエスは弟子たちに「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」と語られたことがありました。聖霊に導かれて生きることは、このような自己犠牲の愛に生きることかもしれません。
また、それに続いてイエスは「 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」とも語られました。
この御言葉のごとく、聖霊の働きは「損をして得を取らす」ように働きます。損をしてでもイエスに従いたいと願い、神の御心に生きようと願うならば、私たちは常に自己犠牲の愛に生きることができるかもしれません。そして、その生き方にこそ、私たちは尊い永遠の命を感じることができるのです。
牧師 : 宮本幸男