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説教要約2026/02/08「苦しいけれど嬉しいこと」

 

 

申命記31:1~8

使徒言行録22:17~29

 

 パウロはエルサレム神殿において祈りを捧げる中で、復活の主イエス・キリストにお出会いしました。そして「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ」と、異邦人を救いに導く伝道の使命を与えられたのです。

 

 しかし、実際にパウロが本格的な異邦人伝道を始めることができたのは、この時に召命を受けてからかなりの歳月が経った頃でした。バルナバによってアンティオキア教会に連れて行かれ、世界伝道旅行に参加をする時まで待たなければならなかったのです。

 実に、神の言葉が実現する迄の時間は、神にとって一瞬であったとしても、人間にとっては長い時間だと感じることがあったりします。しかし、パウロは辛抱強く待ち続けることができました。それは、アナニアやバルナバのような人の言葉を通して、異邦人伝道の目的のために自分が召されていると信じ続けることができたからです。

 

 私たちも自分の人生の中で、自分の人生の意味と目的を周りにいる人に示されることがあります。神が自分の人生に大切な意味と新しい目的を備えてくださっていることが、自分と関わってくれる人を通して見えてくるのです。

 けれども、自分の人生の意味と目的に従ったら、この世で成功し、目に見えて豊かになっていくとは限りません。むしろ聖書は、キリストから与えられた新しい目的の為に苦しむことがあると教えています。しかし同時に、私たちがキリストの為に苦しむというのは喜びであり、特権であることも教えています。

 

 主に従うクリスチャンの人生は、コインの裏表のように苦しみと喜びの両方があります。しかし、私たちの苦しみの体験は、もっと大きな喜びにつながっていきます。苦しみと喜びが交互に起こるという「神からの取り扱い」を受けて、私たちの信仰は成長し、何ものにも代えがたい喜びに満たされていくのです。

牧師 : 宮本幸男

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